行政の概念はきわめて多義的であって,これを明確に定義することはむずかしい。だが,その用語法をあえて大別すれば,以下の3種に分類できるであろう。すなわち,第1の用語法は,立法・司法・行政の分化を前提にして,行政の概念を立法・司法の両概念との対比において用いるものであり,まず立法と司法の概念が定義され,統治機能から立法と司法を除いた残余の機能が行政とされることが多い。第2の用語法は,政治と行政の分化を前提にして,行政の概念を政治のそれとの対比において用いるものである。第3の用語法は,組織にとって第一義的な組織目的の達成活動ではなしに,この目的達成活動を支え,これに方向づけを与えるような,組織それ自体の管理活動を行政と呼ぶものである。
第1の用語法は,司法法と行政法とを早くから区別し,司法裁判所とは別に行政裁判所を設けるなど,司法権と行政権の分立をとりわけ重視してきた大陸系諸国の伝統に由来する。この種の用語法は公法学文献に比較的多くみられるものであるが,三権分立の制度ないし観念が普及するにつれ広く一般にも定着している。だが,この用語法に属するものであっても,何をもって立法,司法,行政とみるかという点については諸説ある。ある憲法構造のもとで立法府に属すとされている活動のすべてを立法と呼び,同様に司法府に属すとされている活動のすべてを司法,行政府に属すとされている活動のすべてを行政と呼ぶような,機関に即して形式的に区分する定義もあれば,機能に即した実質的な定義もある。このうちの後者の機能に即した定義になれば,機関の分立と機能の分化とが現実に完全な一対一の対応になっているとはかぎらないので,立法府,司法府の活動のなかにも行政機能とみるべきものがあったり,逆に行政府の活動のなかにも立法機能とか司法機能とみるべきものが存在しうることになる。そこで,司法行政とか行政立法といったまぎらわしい用語例も生まれてくることになるわけである。
第2の用語法は,行政法の発達がおくれ,権力分立論においても司法と行政の分立がさほど重視されなかった英米系の伝統に由来する。この用語法はどちらかといえば政治学文献に比較的多く散見されるものである。議員,大統領,大臣,政務次官,あるいは自治体の知事,市町村長など,国民から直接間接に選出され国民に対して責任を負う公選職(政治家)の行動,あるいは公選職で構成される議会,内閣などの政治機関の行動を政治と呼び,任命職(行政官)の行動,あるいは任命職で構成される行政機関の行動を行政と呼ぶのは,この第2の用語法に立ちながら,機関に即して形式的な定義をおこなうものである。これに対して,統治意思(もしくは政策)の決定作用と統治意思の執行に対する統制作用とを政治とし,統治意思の執行作用を行政とする定義は第2の用語法に立ちながら,機能に即して実質的な定義をおこなおうとする一例である。社会的諸利益の対立を調整し統合する機能を政治とし,社会生活を日常的に維持管理する機能を行政とする定義も同様である。このような機能に即した実質的な定義に立てば,政治家ないし政治機関の行動のすべてが政治,行政官ないし行政機関の行動のすべてが行政とはかぎらないこととなり,官僚政治とか行政の政治化といった用語例も生まれてくることになるのである。
ところで,この第2の用語法は立法と行政の相互関係を先の第1の用語法とは多少異なる角度から整理しているにすぎないようにみえるかもしれない。しかし,そうではないのである。第2の用語法の要点は,行政府に属しながらも,その頂点に君臨して行政機関を統制している執政機関,すなわち大統領,内閣,知事,市町村長などの行動を政治とみるところにある。英米では,行政権ないし行政府に相当するものを執政権executive powerないし執政部門executive branchと称する用語例が少なくない。このような用語例では,執政executiveと行政administrativeが区別されているのである。立法機関と執政機関の双方が政治機関とみなされ,行政府のなかでも執政機関以外の純然たる行政機関の行動だけが行政administrationと考えられていることになる。
さて最後に,もう一つの第3の用語法に移ろう。英米では,政府の行政のことをpublic administration,企業の経営のことをbusiness administrationと呼ぶ。行政は公共的な行政,経営は営利的な行政であって,いずれも行政administrationであることにおいては共通の同質的な営為であると観念されているわけである。いいかえれば,公私の別を問わず,およそ組織一般の管理活動が行政と観念されているといえよう。では,この意味での行政は何との対比において用いられているのであろうか。この点は決して明確とはいえない。けれども,この意味での行政は組織の最高機関と末端機関の中間に介在する管理職層の活動ないし機能を意味しているように思われる。すなわち,政府であれば立法機関と執政機関による最高意思の決定作用と統制作用,企業であれば資本家を代表する株主総会とか取締役会による最高意思の決定作用と統制作用は,ここにいう行政には含まれない。そしてまた,末端下級職員による現業的な業務執行もここにいう行政には含まれていないように思われるのである。行政とは,現業的な業務執行活動を指揮監督し,各部門の活動を総合的に調整し,あるいは組織の目的達成活動を側面から支援して,組織それ自体を維持管理する活動であるといえよう。したがって,この第3の用語法においては,先の第2の用語法とは異なり,行政官ないし行政機関の活動のすべてが行政とはみなされない。行政と観念される範囲がもっと狭く,特化しているのである。行政官のなかでも幹部職員の活動のみが行政と呼ばれる。イギリスの公務員制度において上級職の職員がadministrative class(行政階級)と呼ばれているのは,この種の用語例である。あるいは,公務員のなかでもスペシャリストに属さないジェネラリストたちの活動が行政と呼ばれる。研究職,教育職,医療職などと並んで行政職と称する種別をおいているのは,この種の用語例である。また,各省庁を横断するような業務を集中管理し,各省庁を調整している中枢的な省庁の活動のみが行政と呼ばれることもある。〈軍令は参謀部に属し,軍政は陸軍省に属する〉といったときの軍政という用語例にも,この種のニュアンスが含まれている。要するに,第3の用語法による行政の概念は,それが公私の別を問わず組織一般に適用されている点では第2の用語法より広い概念である反面,政府の行政機関の活動のうちのなんらかの部分のみが行政とされる点では第2の用語法より狭い概念なのである。
ところで,上記のいずれの用語法によるにしろ,行政なる概念の中核にあるのは,職業的行政官で構成されている行政機関の活動,なかんずく一般に官僚と呼ばれている幹部職員層の活動である。したがって行政の概念は,近代国家における行政官僚制の成立とともに生まれ,政治制度の発展にともなって変容してきた。そこで,近代国家から現代国家にいたる発展史を絶対王政,立憲君主制,近代民主制,そして現代民主制の各時代に区分して,行政の生成と変容の過程を概観してみることにしよう。絶対王政時代は,国王と臣民の中間に介在していた封建的諸勢力を駆逐し,国民国家(nation-state)を形成した時代である。この国民国家の統治構造は絶対君主を主権者とし,軍と官僚集団がこれを補佐する中央集権体制であった。そこにおいては,王室の家政と国家の国政との区別さえ明瞭ではなかった。まして,立法・司法・行政の区別もなければ,政治ないし憲政と行政との区別もなかった。これが,憲法が制定され議会が開設されて,立憲君主制に移行すると,立法・司法・行政の区別が生じ,政治ないし憲政と行政が分化しはじめる。もっとも立憲君主制下では,法治行政原理が確立されたとはいっても,議会による政治ないし憲政は王権を牽制する程度のものでしかなく,統治の実権はいぜんとして君主とこれを補佐する軍,官僚集団の手中にあったといわなければならない。
だが市民革命を経て近代民主制の時代になると,主権の概念は180度転回し,主権在民の原理が確立する。議院内閣制の国々についていえば,議会が国権の最高機関となり,議会が執政機関たる内閣に対して完全なる生殺与奪の権をもつこととなる。そして,議会および内閣の政治を運用するための装置として政党が発達し,政党政治が行政を支配するようになった。このような近代民主制下の政治体制のことを立法国家という。権力分立制度上,立法機関と位置づけられている議会が統治の実権を掌握していたからである。政党政治による行政の支配は官僚の任免にまで及び,これをとおして,かつての君主の官僚は議会に忠誠をつくす行政官,さらには時の政権政党に忠誠をつくす行政官に変えられていった。その極限形態が19世紀のアメリカ合衆国に確立した猟官制度である。この猟官制度のもとでは,政権政党が交替するたびごとに行政官の大量更迭が繰り返され,行政官僚制はその集団としての自律性をほとんど完全に喪失していた。ところが,その後の産業化と都市化の進展の結果,行政の任務はしだいに量的に膨張し,質的にも専門化していくこととなった。夜警国家から職能国家へとか,消極国家から積極国家へなどと表現されている変化である。この傾向は,選挙権の拡大によっても促進されていた。新たに有権者として参入した無産者層の政治的支持を調達し政治社会を統合していくためには,労働政策,社会政策等に取り組まなければならなかったからである。そして,このような新しい行政を有効かつ能率的に実施していくためには,専門知識と経験をもった職業的行政官を必要とするにいたった。猟官制度は単に政治腐敗の温床であるのみならず,行政の浪費,停滞,無為の原因とみなされるようになった。
こうして,いずれの国でも公務員制度改革が進められ,資格任用制にもとづく政党政治から中立的な現代公務員制へと移行していったのである。行政官は政権政党に奉仕するのでなく,国民全体に奉仕すべき公僕と呼ばれるようになり,官僚制はふたたびその自律性を回復したのである。他方,選挙権が拡大し,いわゆる大衆政党,組織政党が発展するにつれ,議会政治の様相も変わり,議会政治の危機が語られるようにもなった。こうして,行政の変質と議会政治の変質の双方が重なり合った結果,政府提出法案の重要性が高まり,委任立法が増え,行政裁量が拡大していくこととなった。政治指導の中枢は立法機関から執政機関へと移動したのである。イギリスでは,このような変化が,〈議会政治から内閣政治へ,そして内閣政治から首相政治へ〉と表現されるが,一般的にはこの種の変化を指して行政権の優越化と呼んでいる。これが行政国家である。近代民主制から現代民主制への移行は静かな漸進的な過程であったが,現代国家は市民革命後の近代国家とは質的に異なるのである。予算規模は飛躍的に膨張し,公務員数は増え,多数の省庁が分立割拠している。執政機関はこの巨大な行政官僚制の協力を調達することによって政治指導の中枢となりうるのである。しかし,執政機関の意思を行政機関の隅々にまで浸透させ,これを思いのままに統御することはむずかしくなってもいる。行政機関は政治機関の意思を無視し,あるいはこれに反抗する実力さえ備えてきている。そこで,現代国家にあっては,この肥大化した行政官僚制を民主的かつ能率的に統制していくこと自体が,一つの大きな政治課題となっているのである。
行政の発展史に関する以上の素描はいわば理念型である。各国における行政の発展は,いうまでもなく多様である。イギリスのように,絶対王政から立憲君主制,近代民主制,現代民主制へと順を追って漸進的に移行してきた国もあれば,ドイツ,日本のように,近代民主制の成熟をほとんど体験することなく,敗戦を機に立憲君主制から一足跳びに現代民主制に移行した国もある。そこで,行政官僚制がその国の政治構造に占める比重も異なり,行政の概念は国ごとに微妙な違いを示している。しかし,行政の発展と行政の概念との対応関係をあえて単純化してみるなら,立法・司法・行政を対比する先の第1の用語法は立憲君主制下に成立したものであり,政治・行政を対比する第2の用語法は近代民主制から現代民主制への移行にともなって成立したものである。組織一般の管理を行政と観念する第3の用語法は,20世紀になってからつけ加えられたものである。
絶対王政時代の統治は,絶対主義的な富国強兵思想にもとづく後見主義paternalismの特徴をもっていた。行政の任務は,外交,国防,治山治水,重商主義的な殖産興業政策,そしてこれらを支えていくための徴税にほぼかぎられ,現代国家のそれからみればはるかに狭いものであった。だが,産業活動と国民生活に対する政府の介入は恣意的・権力的であって,細部に及んでおり,警察国家とも呼ばれるのである。そこで,資本主義の発展につれ,政府による過剰介入は産業の発展をむしろ阻害するものとなっているので,これを改め,経済活動は市場の自動調整作用にゆだねるべしとする自由放任laissez-faireの思想が登場してきた。〈最少の行政こそ最良の行政なり〉としたジェファソンのことばは,この自由放任主義の行政観を端的に表明していた。しかしながら,産業革命を経て資本主義がさらに高度に発展すると,社会の分業関係は複雑になり,いわゆる資本主義の諸矛盾が露呈し,階級対立も激化してくる。政治社会を統合していくためには,これを放置しておくことはできなかった。こうして,労働の保護,公衆衛生の充実,教育の普及,社会保険の確立といったように,行政の任務はふたたび拡大方向に転じた。そして,戦争がこの傾向に拍車をかけた。戦争が軍事力の戦争から産業力の戦争になり,総力戦になるに及んで,戦時下では総動員体制がしかれ,産業活動と国民生活の隅々にまで国家統制の網がかけられる。そして戦後になっても,これが旧に復さなかったのである。
現代国家の多種多様な行政活動を分類する方法には種々のものがある。もっとも常識的な分類は行政活動を目的分野別に分けていく方法であるが,行政機関が目的別に分立していることから,この分類は機関別分類に近似したものとなる。たとえば,文教行政,建設行政,運輸行政,厚生行政,労働行政といったようになる。この種の分類はさらに何段階にも細分していくことができる。たとえば,建設行政を河川行政,道路行政,公園行政,住宅行政等々に分けるようにである。第2の分類法は,いわば性質別分類である。まず,国民の権利を制限し国民に義務を課す規制行政と,国民に便益を提供する給付行政とに大別する。そのうえで,この規制行政を免許行政,許認可行政,検査検定行政等々に細分し,給付行政のほうはこれを資金交付行政,公物行政,営造物行政等々に細分していくといった分類法である。
しかし,ここでは行政活動を民間活動との関連からとらえてみようと思う。今日,西欧先進諸国においてはほぼ共通に行政改革が推進されており,そこでは,行政の守備範囲,行政の責任領域,公私の役割分担ないし機能分担といったことが共通の論題になっているからである。さて,行政活動をそれが民間活動に対してもつ関係という観点から分類するとすれば,第1に民間活動を規制する活動,第2に民間活動を助成する活動,第3に民間活動の不足を補完する活動,そして第4に民間活動をもってしては対処しにくい行政に固有の活動といった4類型に区分けできる。西欧先進諸国の最近の行政改革では,上記の第1の規制活動については規制緩和deregulationが唱えられ,第2の助成活動については民間の自立自助が,そして第3の補完活動については,これが補完活動というより競合活動となって民業を圧迫しているとし,民間活力の活用が主張されている。これは,かつての自由放任の思想,安上がりの政府(チープ・ガバメント)の思想とどこが違うのであろうか。現代国家の行政はふたたび縮小する方向に転回するのであろうか。この点は,今後さらに論議され続けるであろう論題である。ただ一つ明確なことがある。今日の行政改革は西欧先進国経済のスタグフレーションとこれにともなう財政危機を直接の契機としているのであるが,最近の論議は短期的な緊急避難の問題としてではなしに,中長期的な見通しをめぐるものになっていることである。そして,その背景には国民の租税負担率の上昇があり,国民のこれに対する反発がある。行政は経済の成長につれて無限に成長しうるものか,成長すべきものか,これが問い直されているのである。
すでに述べたように,現代国家にあっては行政官僚制を民主的かつ能率的に統制していくこと自体が一つの大きな政治課題である。官僚制の統制にあたっては,国民を代表する政治機関による統制,あるいは市民参加,情報公開など国民自身による統制といった外部からの統制とともに,官僚制内部での統制が重要である。この内部統制の一態様が行政管理である。アメリカの行政学者L.ギューリックは組織の最高管理者が担うべき管理機能として以下の七つの機能を列挙し,大規模な組織ではこれらの管理機能を分担して最高管理者を補佐する中枢管理機関の分化が必要であるとした。この七つの機能とは,planning計画,organizing組織,staffing人事,directing指揮監督,co-ordinating調整,reporting報告,budgeting予算であり,ギューリックは各機能名の頭文字をつづりあわせて,POSDCORB(ポスドコルブ)なることばをつくりだした。この中枢管理機関とは,いいかえればライン組織(いかなる機能も有しない,純粋に数学的な組織)に対するところのスタッフ組織(機能的組織)である。現代国家では,行政管理を強化するために,この種のスタッフ組織が大幅に拡充されてきた。アメリカ合衆国では大統領所属の諸機関が拡充され,イギリスでは大蔵省の権能が強化された。日本では,総理府の外局として,経済企画庁,行政管理庁(のちに総務庁),科学技術庁,環境庁,国土庁等が次々に新設された。こうした政府レベルのスタッフ組織に対応するのが,各省庁レベルでは官房であり,各局レベルでは総務課である。この種の官房系統組織(ないしは総務系統組織)というべき部門が担当している主要な管理機能が企画,総合調整,予算,文書,人事,組織である。これらの管理機能は,一面では各部局に共通する庶務的な業務を一元的に集中管理するという補助的・サービス的性格をもつが,他面では同時に各部局の政策を審査し,これに指針を与えるという指導的・権力的な性格をもっている。行政管理とは,財源,要員,情報といった,行政を遂行するにあたって必要な資源を調達し,これを各部局に配分する過程をとおして,政策体系を企画し調整することなのである。アメリカ合衆国から発展した現代の行政学は,ある程度まで組織一般に共通する管理の理論と技術を政府の行政にも適用することによって,行政を認識し評価する新しい視点を追加した。
→権力分立 →政治
執筆者:西尾 勝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
行政を英語のpublic administrationの訳語と想定すると、それは文字どおりには公共的仕事・事務の処理ないし管理を意味する。公共的事務とは、社会の全成員ないし多少とも多数の成員に関連し、公的費用負担において遂行される仕事・事務であり、処理ないし管理には、公共事務の実施および狭義の管理が含まれる。実施とは事務を実際に履行する活動群であり、狭義の管理とは、それらの執行をより円滑にし統一化し調整する活動群である。実施に必要な諸条件を準備する過程といってもよい。ある論者は、ここでいう狭義の管理に以下の10の活動(ないし、(1)を除く(2)~(9)の活動)を含ませている。すなわち、(1)二次的政策決定(事務の目的・内容に関する意思決定の補完)、(2)企画、(3)組織管理、(4)人事管理、(5)予算管理、(6)物品管理、(7)指揮、(8)伝達、(9)調整、(10)管制(コントロール)、である(手島孝(てしまたかし)(1933― ))。行政という社会現象をこのように規定すると、それが公共問題について第一次的政策決定(公共事務の目的・内容にかかわる基本的決定)である政治と密接な連関を有すると同時に、事務の実施と管理(狭義)である限りにおいて、企業その他の私経営private administrationとも一定の技術的共通性をもつことが理解されよう。
さて、ここで定義したような抽象的一般的行政概念に従えば、行政はおそらく人類社会の形成とともに始まり将来的に存続するであろうし、それがとる具体的形態も歴史的、空間的にさまざまであったし、さまざまでありうるであろう。マルクス主義者は、原始共産主義社会や将来の共産主義社会においては、社会の公共=共同事務は、社会成員全体によってか、その真正の公僕によって実施・管理されるが、国家を伴う階級社会においては、社会成員のうえにたち、それ自体の特殊利害をもつ、階級支配の特殊な権力機構=政府が、公共事務の目的・内容を決定すると同時にその管理をも独占しがちになり、かつ政府によって「公務」と規定される仕事の内実も、(1)もっぱら支配階級の特殊利益にかかわるものでありながら「公務」とされたものと、(2)直接的には支配階級の利害には結び付かない当該社会の維持・存続にかかわるものとに分裂し、しかも前者が後者に優越し、後者は前者に従属して歪曲(わいきょく)され、階級的帰結を伴って遂行される、と説いている。
[田口富久治]
市民革命を経たか「上からのブルジョア化」が進行した18世紀末から19世紀にかけての近代資本主義国家においては、ほぼ一様に、立法・行政・司法の三権分立が統治機構編成の一原則とされ、かつ国家の行政活動も国によって相異があるが――経済的後進国・後発国ほど上からの資本主義化を促進する必要から行政部が強大で、その経済・社会への介入活動が積極的であり(明治維新後の日本もその一典型で、それは「生まれながらの行政国家」と評され、public administrationは、初め「行法」、ついで「行政」=政治を行うこととして理解されたのが特徴的である)、経済的先進国では市民社会の自律性が強く、国家介入は最小限にとどめられた――、一般的には消極的なものにとどまった。ここから「司法でも立法でもない国家活動のすべてを行政という」類の定義(控除説)がとられ、また行政を法の関数とみ、行政の法的適合性のみを問題とする学派も現れた(その極限的理論化が純粋法学の、行政を一般的法規範を個別化する法的作用とみなす見解である)。
しかし20世紀に入るころになると、さまざまな理由から、国家の行政機能、とくに経済的・社会的機能が拡大し、それに伴って統治機構内での執行権ないし行政権(それは厳密にはその頂点としての内閣・大統領などの政治的執行部とその統轄下の行政組織=官僚制からなる)の優位の傾向が現れる(行政国家の台頭)。さらに第二次世界大戦後になると、現代国家の社会・経済過程への介入は全面的、恒久的、構造的なものとなり、とくに資本主義国家の行政は、資本蓄積と体制安定化(社会的調和の維持)のためのもっとも重要な手段となっている(国家介入主義ないし介入主義国家の成立)。そしてこのような情勢を反映して近時、たとえば行政法学の領域において、行政を「国家目的(あるいは公益)の直接的・具体的実現」と定義する学説も現れている。いずれにしろ、現代行政の特徴は、(1)経済空間の拡大に伴う国家空間の拡大・変化と国家行政機構=公共部門の機構的・機能的膨大化と複雑化、(2)国家行政機能の経済的機能を中軸とする再編成化と介入手段の多様化(とくに伝統的な規制などに加えて、計画化、契約化、公的資金介入などの誘導方式および公企業などの直接管理方式の比重の増大)、(3)執行権、とくに官僚制の政治的役割の増大と社会の矛盾を反映し、それぞれの行政顧客たる利益集団と「共生」関係を取り結ぶ行政諸部門間の亀裂(きれつ)や紛争の拡大などに求められよう。
[田口富久治]
『辻清明著『行政学概論 上巻』(1966・東京大学出版会)』▽『田口富久治著『行政学要論』(1981・有斐閣)』▽『手島孝著『行政概念の省察』(1982・学陽書房)』
(新藤宗幸 千葉大学法経学部教授 / 2007年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…1962年池田勇人内閣下に臨時行政調査会が設置されて以来広く一般に流布した概念であるが,その内容はあいまいであるため,行政改革が企てられるたびごとに,行政改革とはいかなるものであるべきかが論争の種となっている。しかし,通常このことばにこめられている意味を整理すれば以下のようにいえよう。…
…行政学には広狭二様の意味がある。広義には,政府の行政に関する種々の研究の総称である。…
※「行政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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