改訂新版 世界大百科事典 「ピピン3世」の意味・わかりやすい解説
ピピン[3世]
Pippin Ⅲ
生没年:714-768
フランク王。在位752-768年。カロリング家のカール・マルテルの子。小ピピンPippin der Jüngere,またピピン短軀王Pippin der Kurzeとも呼ばれる。メロビング家の宮宰(741-751),次いで教皇ザカリアスの意をうけ,ヒルデリヒ3世を追い,〈真にその実力ある〉フランク王としてボニファティウスから塗油を受けた(752。カロリング朝の始まり)。彼はすでに740年代に,宮宰名で数通の王文書を発行し,王としての職務を執行していた。その中で最も著しいのは,教会教区を再編成し,それらを地方行政に組み込む作業であり,これは,カロリング朝の基本政策となった。彼は2度にわたり,ランゴバルド遠征を行い(754,756),その結果手に入れたラベンナとペンタポールを教皇ステファヌス2世に献じた(〈ピピンの寄進〉)。これが教皇領の起源である。またザクセンやバイエルンに軍を出し,アキタニアの反乱を鎮圧し,ナルボンヌをイスラム教徒の手から取り戻したが,これらの遠征政策もまた,その子カール大帝によって引き継がれた。
執筆者:森 洋
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報