20世紀日本人名事典 「フェラーズボナー」の解説
フェラーズ ボナー
Fellers Bonner F.
- 国籍
- アメリカ
- 生年
- 1896年2月7日
- 没年
- 1973年10月7日
- 出生地
- イリノイ州
- 学歴〔年〕
- 米国陸軍士官学校卒,米国陸軍大学卒
- 経歴
- 士官学校時代ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)に傾倒し、戦前に何度か来日した知日家。フィリピン、エジプト・カイロの駐在武官を経て、1943年米国極東軍司令官マッカーサーの軍事秘書兼対日心理作戦部長。マッカーサーの腹心でいわゆるバターンボーイズの一人。日本降伏後マッカーサーと共に日本に進駐、’45年9月27日昭和天皇がマッカーサー元帥を初めて公式訪問された際に先導役を務めた。天皇を形式的・法的責任のみによって戦犯とすることを批判し、昭和天皇の終戦への貢献度を高く評価する意見書を提出、天皇戦犯免罪の心証形式に役立ったといわれる。’46年退役。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報