日本大百科全書(ニッポニカ) 「フセイニー」の意味・わかりやすい解説
フセイニー
ふせいにー
Amīn al-usaynī
(1897―1974)
パレスチナ・アラブの政治的・宗教的指導者。パレスチナにユダヤ人国家ができることに徹底して反対した人物。イスラム教徒。エルサレムの名家フセイニー家に生まれる。カイロのアズハル大学中退。1918年にパレスチナがイギリス軍政下に置かれると、一時期イギリス軍政下で官吏として働く。1920年エルサレムで反ユダヤ・デモを共謀した疑いをかけられトランスヨルダンに逃亡する。恩赦で帰国し、1921年イギリス高等弁務官によりエルサレムのムフティ(イスラム教大法官)に任命された。1922年パレスチナ・イスラム教徒最高評議会の議長を兼ねる。1929年の「嘆きの壁事件」(ユダヤ教徒襲撃事件)や1936年の「アラブの蜂起(ほうき)」などを指導。1937年アラブ人とユダヤ人との衝突を扇動したかどで捕らえられたあと逃亡し、シリア、イラクなどに移る。第二次世界大戦が起こるとドイツに渡り、反英宣伝活動に従事した。戦後エジプトに逃れ、1948年のパレスチナ戦争のあと、一時、全パレスチナの解放を試みるが失敗する。1960年代初めにはレバノンに移り、1962年世界イスラム大会の議長を務めたあと、公的活動を引退した。1974年7月4日死去。
[木村喜博]