ヘロデス・アンチパス(その他表記)Hērōdēs Antipas

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヘロデス・アンチパス」の意味・わかりやすい解説

ヘロデス・アンチパス
Hērōdēs Antipas

[生]前21頃
[没]後39. ガリア
ガリラヤ,ペラエア領主 (在位前4~後 39) 。アンチパスとも呼ばれる。ヘロデ大王の子。大王の支配地を3兄弟の一人として譲り受け,ガリラヤ,ペラエアの領主となった。ガリラヤ湖畔に皇帝チベリウスにちなんでチベリアという首都を建てるなど親ローマ政策をとったが,他方ユダヤ人に対しても好意的で,エルサレムでの祭儀にも出席した。イエス・キリストの裁判のときもエルサレムにおり,ピラトが押しつけてきたイエスを愚弄してそのままピラトのもとへ送り返した (ルカ福音書 23・7~12) 。先妻と離婚して,兄の妻ヘロデアを妃としたため,先妻の父ナバテア王アレタス4世に攻撃されて敗れた。またバプテスマヨハネがこの結婚を非難したので,彼を投獄。彼の話に耳を傾けたが,ヘロディアス (新約聖書ではヘロデア) の意向で彼を斬首した。のちヘロデス・アグリッパス1世と争い,ガイウス・カエサル (カリグラ) 帝に追放された。イエスにキツネと呼ばれた王でもある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む