ヘロデ大王(読み)ヘロデだいおう(その他表記)Hērōdēs; Herod the Great

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヘロデ大王」の意味・わかりやすい解説

ヘロデ大王
ヘロデだいおう
Hērōdēs; Herod the Great

[生]前73. 南パレスチナ
[没]前4.3/4. エリコ
ユダヤ王 (在位前 37~前4) 。ヘロデス大王とも呼ばれる。ヘロデ朝の創始者。キリスト誕生時のユダヤ支配者。エドム人アンティパトロスとナバテア人貴族の娘の間に生まれたアラブ人であったが,ユダヤ人社会の風習になじんでいた。父以来ローマの東方進出政策と手を結び,富と政治力を築いた。父子ともユリウス・カエサル,M.アントニウスと友好を保ち,ローマ市民権を獲得,前 47年には父はユダヤ総督,ヘロデはガリラヤの代官となった。前 47年には,一時パルティアに追われてローマに亡命したが,ローマ元老院の後ろだてで前 37年ユダヤ王に即位。これを正当化するため,ハスモン (マカベア) 朝の子孫にあたるマリアムネと結婚。また,ローマの内乱では,アントニウスとクレオパトラ7世を支持したが,のちアウグスツスに取り入り,ヨルダン,シリアの領地をも与えられた。王国内では,専制政治を行ない,10人の妻をめとり,14人の子供をつくった。国内の主要都市にローマ風の公共建築物をつくり (カエサレア,サマリア・セバステなど) ,首都エルサレムには神殿を再建し,王宮要塞などを完備した。エリコやマサダには離宮を築き,国外の都市 (ベイルートダマスカス,アンチオキア,ロードス島) にも建造物を寄付した。しかしユダヤ人でないためパリサイ派からは憎まれた。また,元来陰うつで冷酷な性格であったが,宮廷内に陰謀が横行したこともあって精神的不安定を増し,王妃親族を殺害し,救世主の出現を恐れてベツレヘムの幼児たちを虐殺したといわれている。死後,王国は3人の子の間で分割された。

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