第3代ローマ皇帝。在位37-41年。ゲルマニクスと大アグリッピナの子で,本名はガイウス・ユリウス・カエサル・ゲルマニクスGaius Julius Caesar Germanicus。カリグラとは〈小さな兵隊靴〉の意で,幼少期両親と共にライン地方滞在中軍隊がつけた愛称。両親や2人の兄がティベリウス帝の猜疑心の犠牲になった後,37年彼の後を継いで皇帝になったが,まもなく大病を患い精神を侵される。翌年熱愛した妹ドルシラの死後狂気はますます昂じ,元老院を無視して独裁化を強め,国庫の浪費,有力者の処刑や財産没収を繰り返し,また自己を神格化してその礼拝を強要した。39-40年ゲルマニアに2個軍団を増設し,ゲルマニア,ブリタニア征服を企てたとされるが実行されず,41年近衛軍の一将校によって暗殺された。
執筆者:島 創平
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本名ガイウス・ユリウス・カエサル・ゲルマニクスGaius Julius Caesar Germanicus。カリグラはあだ名。ローマ皇帝(在位37~41)。ティベリウス帝の養子ゲルマニクスを父として生まれ、少年期を両親とともにライン河畔駐屯軍の陣営で過ごしたが、このころ愛用した幼児用軍靴(カリグラ)にちなんでカリグラというあだ名でよばれるようになった。彼の治世は、当初は名門の家風を重んじたので人望を集めたが、やがて重病に倒れ、回復後は精神錯乱の様相を帯びるようになった。猜疑(さいぎ)心から有力者の処刑、元老院の無視、現身(うつしみ)の神格化を要求して、専制君主政への傾斜を示した。とりわけ、皇帝礼拝の強要はエルサレムやアレクサンドリアにおけるユダヤ人騒乱の因となった。浪費と残虐がたび重なり、39~40年秋・冬のガリア・ライン河畔への進軍から帰還した後は、陰謀の危険にさいなまれながら、41年1月、妻と幼娘とともに宮廷内で暗殺された。
[本村凌二]
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12~41(在位37~41)
ローマ皇帝。「兵隊靴の坊や」の意のあだ名で,正しくはガイウス。37年,登位直後の病患以来,半ば狂人の暴君となり,やがて臣下に殺された。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
「ガイウス・カエサル」のページをご覧ください。
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…31年にティベリウスがセイアヌスを粛清した後も追放を解かれず,33年食を断って死ぬ。彼女の9人の子どものうち,三男のガイウス(カリグラ)が,のちにティベリウスの後を継いだ。【島 創平】。…
※「カリグラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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