改訂新版 世界大百科事典 「ヘンリク司教」の意味・わかりやすい解説
ヘンリク司教 (ヘンリクしきょう)
Pyhä Henrik
生没年:?-1156?
フィンランドで没したイギリス人のカトリック司教。初めスウェーデンのウプサラに渡り,そこで司教をしていたが,1155年春王子エリックとともに,フィンランドのポリの近くに渡り,キリスト教の布教活動を行った。フィンランドにキリスト教が公式に伝えられた最初だが,さしたる成果は上がらなかった。ヘンリク司教が,キリスト教をよく思わないある農夫に,氷結した湖上で殺されてしまったからである。言い伝えでは,1156年1月20日のこととされている。その後まもなくフィンランドの教会では,殉教者であり聖人の誉れ高かったこの司教に対する崇敬が行われるようになり,遺骸がトゥルクに移されてからは,そこが崇敬の中心地となった。《ヘンリク司教の死》という詩が作られ,中世を通じて民間で語り継がれ,今日に及んでいる。
執筆者:荻島 崇
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