フィンランド南西端、トゥルク諸島を前面に控えたこの国最古の都市。ツルクともいう。スウェーデン名オーボÅbo。人口17万3686(2001)。スウェーデン統治時代を通じ、1812年までフィンランドの首都であり、大教会、城、トゥルク・アカデミーなどの歴史的建造物が知られている。トゥルクを中心とするバルシナイス・スオミ地方は「真のフィンランド」を意味し、もっとも開発が早く、耕地率最大の農耕地域である。そのため工業は、この国の産業に特徴的な製材、パルプ、製紙を欠き、盛んな農業を背景にテンサイ糖工業、製粉業が盛んであり、食料品工業の占める地位が高い。そのほかに肥料、繊維、金属、機械が重要であるが、なかでも砕氷船など造船が盛んである。
スウェーデンによるフィンランド支配の拠点であったが、19世紀のロシア支配時代に繁栄を現在の首都ヘルシンキに奪われた。先史時代の港湾が、市内を流れるアウラ川を数キロメートルさかのぼった所にあったと考えられているが、氷河期以降の地盤隆起によりしだいに陸地が前進したといわれる。
[塚田秀雄]
アウラ川河口周辺は古くから交易の中心地であり、7世紀ごろからはバルト諸国、スウェーデン南東部のゴトランド島とも交流していたことが遺跡から明らかになっている。教皇教書に初めてその名の現れる1229年をもって、トゥルク市創立の年とされている。この13世紀にドミニコ会修道院、大聖堂、トゥルク城が建立され、またハンザ商人の往来も頻繁になり、市は政治、宗教、商業の中心地として形成されていく。当時の人口は2000~3000とされているが、戦争、疫病、火災などのため容易に発展しなかった。17世紀のスウェーデン興隆期に入り、総督の居住地となることによって名実ともにフィンランドの首都になり、上級裁判所、初めての大学などが建設された。大北方戦争(1700~21)後、紡織、たばこ、造船などの産業が緒につき始め、初の新聞も発行された。19世紀に入ってフィンランドがロシアに併合されると首都はヘルシンキにかわり、1827年の大火災の翌年大学もそこに移されたが、教会の中心地としての地位は保った。1890年代に入り、工業化がいっそう進み、それに伴う人口増加により周辺農村部を編入した。
[玉生謙一]
フィンランド南西部,バルト海に面し,アウラ河口に開けた古都。スウェーデン語名オーブーÅbo。港湾都市,文教都市でもある。人口17万4846(2005)。1200年代スウェーデンの支配下に入り,城と教会が造られ,フィンランドの政治・経済・宗教の中心地となり,1640年には最初の大学がつくられた。1809年スウェーデンはフィンランドをロシアに割譲し,ロシアによって12年,首都がトゥルクからヘルシンキに移された。27年の大火で市の4分の3が焼失し,大学もヘルシンキに移り,トゥルクはフィンランドの中心都市としての地位を失ってしまった。トゥルクは有史以前から交易の場であり,その港は常にヨーロッパ諸国に向けて開かれた,フィンランドの海の玄関口であった。今日でも客船の出入は国内第1で,スウェーデンとの間に定期航路がある。他港と違って氷結しないので,厳寒時には貨物船にとっても重要な港となる。城は戦火などでたびたび焼失したが,1961年復元され,博物館となっている。
執筆者:荻島 崇
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…転生活仏の略語。チベット語ではトゥルク(sprul sku,化身)またはクケー(sku skyes,御転生)という。仏がこの世に出現させる化身の菩薩は,すべての人々が悟り救われるまで輪廻の世界に生まれかわって救済を続け,自分は理想とされる涅槃(ねはん)に入らないという《楞伽(りようが)経》の教えに基づいて,優れた僧をそのような菩薩とみなし,その死後49日間に受胎されて生まれた者のあいだから転生者を探し出す習慣が生じた。…
※「トゥルク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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