翻訳|Uppsala
スウェーデン南東部,同名県の県都。旧ウップランド州の州都。ストックホルム北方に位置し,宗教・教育の中心地で,近代工業都市。人口18万8478(1999)。先史および初期中世のスベアSvea人の文化的・宗教的・政治的中心地。タキトゥスの著作《ゲルマニア》にみえるスイオネスSuiones(Svea)はウップランドに居住し,その政治的中心地は,今日のウプサラ市北端に位置する古ウプサラGamla Uppsalaにあった。ここには約300の古墳群があり,とくに東端の三つの大古墳の主は,スノッリ・ストゥルルソンの伝えるユングリング家の王たち(5~6世紀)に比定されている。3古墳の東の丘は〈集会の丘〉と呼ばれ,初期中世には,毎年2月に王と農民の集会が開かれた。スノッリによればウプサラはオーディン,トール,フレイヤの神々への崇拝の中心地であり,キリスト教布教時代には異教の抵抗中心地でもあった。ブレーメンのアダムの《ハンブルク教会史》(1070ころ)によれば,ここでは9年ごとに全土からスベア人が集まり,人身犠牲をともなう異教の祭りがおこなわれた。改宗後,異教の神殿は倒され,その上にキリスト教会が建てられ,スウェーデン教会の中心となる。1164年,大司教座設置。交通路だった諸河川が干上がるとともに重心は今日のウプサラ市に移動。スベア人の政治的拠点がストックホルムへ移ったのちも,宗教的・文化的な中心でありつづける。ウプサラ大聖堂は,13世紀に建築がはじまり,1435年に聖別され,19世紀にほぼ完成したスウェーデン最大のゴシック建築である。ウプサラ大学は,この国のデンマークにたいする独立闘争という国民主義を背景に,北欧最古の大学として発足した(1477)。グスタブ2世アドルフ以来の国王の特別な庇護をうけた大学図書館は,三十年戦争中にスウェーデン軍が大陸から戦利品としてもち帰ったものをふくめ,膨大な手写本コレクションを蔵する。
執筆者:熊野 聰
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スウェーデン南東部、首都ストックホルムの北70キロメートルに位置する学園都市。人口19万1110(2001)。1477年創立の総合大学をはじめ、医大、農大、および各種の研究所がある。近年は製薬、印刷出版、食品工業が設立され、工業都市の観をみせている。1435年建立の大聖堂は北欧最大であり、カロリーナ図書館所蔵の銀の聖書は500年代のものとして世界的に有名である。4月30日の春の学生祭も呼び物の一つである。
[中島香子]
ウプサラの旧名はアロス、またはエストラ(東)・アロスÖstra Arosとよばれ、その発祥地である古ウプサラは同市の北5キロメートルに位置し、古代から中世初期まで政教、交易の中心地として栄えた。13世紀にはそこに司教座が設置されたが、たび重なる大火のため1273年、大司教座としてアロスに遷座、このときウプサラと改名した。
以降、教会、修道院、大聖堂などが建立され、宗教の中核都市となったが、16世紀中ごろの人口はわずか200人強であった。1477年にウプサラ大学が設立されて以来、スウェーデンの学問の中心となった。1702年の大火で市の大半が灰燼(かいじん)に帰したが、いち早く復興された。19世紀中葉、人口5000人弱の同市は、交通の発達で、中規模都市に発展した。
[清原瑞彦]
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スウェーデン東南部の古都。9世紀頃より知られ,中世には大司教座が置かれ,国王もここで戴冠された。1477年北欧最古の大学設立,1593年教会会議が開かれ,この国の新教化を決定するなど,長く宗教的・文化的中心であった。
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