日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベネズエラの古代文化」の意味・わかりやすい解説
ベネズエラの古代文化
べねずえらのこだいぶんか
ベネズエラでは、北アンデス、中央アンデスの石期に対応する古い石器文化が北西部に確認されている。ペドレガル川流域では、カマレ、ラス・ラグーナス、エル・ホボ、ラス・カシータスの石器コンプレックスが、チョッパーから尖頭(せんとう)石器への加工技術の発展を示している。すでに紀元前1万5000年ごろから大動物狩猟民の活動が始まっており、エル・ホボの葉状ポイントの分布範囲は、前8000年前後に、マストドンやオオナマケモノを狩る狩猟民の活動が依然として続いていたことを示している。東部ボリーバル州のサバナでも、カナイマの尖頭石器コンプレックスがみつかっているが、ラス・カシータスの柄付き小型ポイントと似ており、前5500年の年代が与えられている。
ベネズエラでもっとも古い土器は、北西部グアヒラ半島のランチョ・ペルードでみつかっている。前3000年近くの年代が放射性炭素による年代測定によって与えられている。低温で焼いた粗製の土器で、帯状のアプリケが付せられる以外はほとんど装飾をもたない。また、バルディビア、プエルト・オルミーガ、モナグリリョなど、同時代の北アンデス、中央アメリカ南部の古い土器とはまったく類似点がない。ランチョ・ペルード以後、同地域では、グアサーレ、ダバフーロ、トクヤノ、サラーレ等の土器相が展開したが、この過程で、前1000年紀の初めまでに、マニオクを栽培する熱帯雨林型の根菜農耕文化が成立していたらしい。ベネズエラ東部のオリノコ川下流地方でも、サラドイデ、バランコイデとよばれる二つの土器文化の伝統があり、その他の地方でも、中央海岸のオクマーレ、東部海岸のグアヤビータ、オリノコから東部リャノ(低地)地帯にかけてのアラウキン、マトラケーロ、カモルーコ等で、それぞれ地方的な土器スタイルの展開がみられる。なかでも有名なのは、ベネズエラ中央部のカリベ山脈のバレンシア湖地方から出土する特徴ある土偶や刻文土器である。同地方では、埋葬のためのマウンドが多数つくられており、紀元後1000年以後の首長制社会の成立がその背景にあったものと思われる。16世紀初め、バレンシア湖から中部海岸に至る地方には、アラワク語族のカケティオ人が住み、カラカス川からオリノコ・デルタにかけてはカリブ語族の諸族が、またマラカイボ地方にはマクロ・チブチャ語族のヒラハラ人がそれぞれ定着し、いずれも多くの首長制社会をつくっていたが、侵入してきたスペイン人、ドイツ人に征服され、すべて崩壊してしまった。
[増田義郎]