ペルシエ(その他表記)Charles Percier

改訂新版 世界大百科事典 「ペルシエ」の意味・わかりやすい解説

ペルシエ
Charles Percier
生没年:1764-1838

フランスの建築家。パリに生まれ,エコール・デ・ボザール(国立美術学校)で生涯パートナーフォンテーヌに出会う。ローマ大賞を得てローマ留学を果たし,帰国後フォンテーヌを協力者としたマルメゾン城の室内装飾(1802)でナポレオンに認められ,王室建築家としてチュイルリー,ルーブルなどの宮殿修復に当たり,主として室内装飾と家具デザインを担当。ナポレオンの要望にこたえて帝政ローマを想起させるアンピール様式を完成した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ペルシエ」の意味・わかりやすい解説

ペルシエ
Percier, Charles

[生]1764.8.22. パリ
[没]1838.9.5. パリ
フランスの建築家,家具デザイナー。パリのエコール・デ・ボザールで,P.フォンテーヌを知り,ローマ大賞受賞 (1786) 後,彼とともにローマに留学,1814年に引退するまで 30年間フォンテーヌの協力者として,ナポレオン1世のためにチュイルリー宮殿,マルメゾンの邸館,ルーブル宮殿パレ・ロワイヤルなどの改築,修復にあたり,主として室内装飾と家具デザインを担当し,アンピール様式を確立した。またカルーゼル凱旋門 (1806) を建設。両者による主作品はパリの贖罪礼拝堂 Chapelle Expiatoire (15~26) 。共著『室内装飾集』 Recueil de décorations intérieures (01) など。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のペルシエの言及

【フォンテーヌ】より

…フランスの建築家。建築家の息子としてポントアーズに生まれ,エコール・デ・ボザール(国立美術学校)でペルシエと知り合う。ローマ留学後ペルシエとともに王室建築家としてチュイルリーなどの宮殿の修復を担当し,ナポレオンの帝政ローマ再現の夢を実現するために尽くす。…

※「ペルシエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android