19世紀初め,ナポレオン帝政期を中心として開花したフランス美術,とくに建築,室内装飾,家具,衣装に見られる様式。〈アンピールEmpire〉はフランス語で〈帝政〉を意味する。執政官時代(ディレクトアール様式)に始まり,王政復古後にも若干期間,この様式は残存している。古代美術の賛美者であり,壮大さと古典的格調を望んだナポレオンのもとで,絵画における新古典主義が隆盛を見たのと同様,建築,都市計画においても,壮大さと秩序に対する指向があらわれる。ナポレオンの官館を建築したP.F.L.フォンテーヌ,それを助けたC.ペルシエ,エトアール広場の凱旋門を設計したシャルグランJean Chalgrin(1739-1811)たちが代表的な建築家である。ナポレオンは,さらにパリのみならず,彼の帝国の版図のあらゆる都市で壮大な計画を立案せしめているが,実際には,パリのリボリ街などの例を残すのみで,彼の没落後,ロシアのアレクサンドル1世によるペテルブルグ造営などに,ナポレオンの夢の実現を見ることができる。
とくにアンピール様式で名高い家具は,帝国の公共機関や役人,実業家たちのために数多く制作された。帝国家具製作所Le Garde Meuble Imperialのみならず,当時のパリだけで2000人を数えたという家具師(エベニスト)が制作に携わり,ルイ15世様式以来の家具芸術の全盛期を生んでいる。ここでも,明快な線,稜角をもち,豪奢(ごうしや)な鍍金ブロンズで飾られたマホガニー製の執務机など公的家具が中心で,婦人用家具は,鏡台を除いて数少ないのが,この時代の特徴を示している。これらの家具には,しばしばライオンの肢の形の脚や頭飾が用いられたが,室内装飾でも,古代風のモティーフ,とくにエジプト風のモティーフが用いられ,スフィンクス,オベリスク,擬似象形文字が好んで用いられている。衣装も,きらびやかな軍服風の衣装が顕職者や実業家たちのあいだに流行し,逆に婦人のモードは,ギリシア風の簡素なローブとなって,この時代の傾向をあらわしている。この種の家具,衣装はイタリア,ロシアにも広がっている。イギリスではリージェンシー様式に相当する。
執筆者:中山 公男
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…イギリスでは古典主義の建築家ロバート・アダムが背もたれに盾形・卵形・ハート形などの意匠を採り入れ,厳しい比例による古典様式のいすを流行させた。19世紀前期には古代ローマのデザインを採り入れたナポレオン1世のアンピール様式(アンピールは〈帝政〉の意)のいすが流行,この様式はイギリスではリージェンシー様式とよんで軽快なギリシア風のデザインを示し,ドイツ・オーストリアではビーダーマイヤー様式とよばれ,簡潔で機能性に富んだ形式として一般市民の生活に浸透した。19世紀中期から後期にかけて,ビクトリア様式の豪華ないすが人気を博した。…
…〈メシドール(収穫月)様式style Messidor〉ともいう。ルイ16世様式(ルイ王朝様式)とアンピール様式の間にあって前者の様式を反映し,また後者への過渡的推移を示す。この時代の不安定さのため建築の実例はなく,室内装飾の残存例も少ない。…
…ローマ留学後ペルシエとともに王室建築家としてチュイルリーなどの宮殿の修復を担当し,ナポレオンの帝政ローマ再現の夢を実現するために尽くす。ペルシエと共同で設計したカルーゼル凱旋門(1806)などを通してアンピール様式を築いた。【羽生 修二】。…
…ローマ大賞を得てローマ留学を果たし,帰国後フォンテーヌを協力者としたマルメゾン城の室内装飾(1802)でナポレオンに認められ,王室建築家としてチュイルリー,ルーブルなどの宮殿の修復に当たり,主として室内装飾と家具デザインを担当。ナポレオンの要望にこたえて帝政ローマを想起させるアンピール様式を完成した。【羽生 修二】。…
※「アンピール様式」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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