ホセ・アントニオカマーチョ(英語表記)José Antonio Camacho

現代外国人名録2016 の解説

ホセ・アントニオ カマーチョ
José Antonio Camacho

職業・肩書
サッカー指導者 元サッカー・スペイン代表監督・中国代表監督

国籍
スペイン

生年月日
1955年6月8日

出生地
ムルシア州

経歴
1980年代にレアル・マドリードの左サイドのレギュラーを獲得、守備的MFプレー。約15年間で公式戦に500試合以上出場。10回のリーグ優勝を経験。スペイン代表としては81試合に出場。2度W杯に出場し、’86年大会では主将を務めた。指導者としては、’90年レアル・マドリードのユースチームをはじめ、ラーヨ、エスパニョールセビージャなどを率いる。’98年レアル・マドリード監督に就任するが、すぐに辞任。同年UEFA欧州選手権(EURO2000)の予選2戦目からスペイン代表の監督を務める。2002年W杯日韓共催大会は韓国に敗れてベスト8に終わり、大会後辞任。同年ポルトガルの名門ベンフィカ監督を経て、2004年再びレアル・マドリード監督となったが、成績不振のため4ケ月で辞任。2007〜2008年シーズン、再びベンフィカ監督。2008〜2011年はオサスナを指揮。2011年8月から中国代表を指揮したが、W杯ブラジル大会予選の3次予選で敗退。監督就任後20試合で7勝2分け11敗と成績不振で、2013年6月解任される。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

最新 世界スポーツ人名事典 の解説

ホセ・アントニオ カマーチョ(ホセアントニオ カマーチョ)
José Antonio Camacho
サッカー

サッカー・中国代表監督
生年月日:1955年6月8日
国籍:スペイン
経歴:1980年代にレアル・マドリードのサイドバック、守備的MFでプレー。10回のリーグ優勝を経験。スペイン代表としては81試合に出場。’86年W杯では主将を務めた。指導者としては、’90年レアル・マドリードのユースチームをはじめ、ラーヨ、エスパニョール、セビージャなどを率いる。’98年レアル・マドリード監督に就任するが、すぐに辞任。同年EURO2000の予選2戦目からスペイン代表の監督を務める。2002年W杯日韓共催大会は韓国に敗れベスト8に終わり、大会後辞任。同年ポルトガルの名門ベンフィカ監督を経て、2004年再びレアル・マドリード監督に就任。同年9月成績不振のためシーズン途中で辞任。2007〜2008年シーズン、再びベンフィカ監督。2008〜2011年はオサスナを指揮。2011年8月中国代表監督に就任したが、ブラジルW杯予選の3次予選で敗退。監督就任後20試合で7勝2分け11敗と成績不振で、2013年6月退任。

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