日本大百科全書(ニッポニカ) 「ホールン伯」の意味・わかりやすい解説
ホールン伯
ほーるんはく
Comte de Hoorn(Hornes, Hoorne), Philippe de Montmorency-Nivelle
(1518―1568)
ネーデルラント独立運動初期の指導者。カール5世(カルロス1世)、フェリペ2世に仕え、対フランス戦争に参加し、サン・カンタン(1557)、グラブリーヌ(1558)の戦いに戦功をあげた。1563年スペイン本国から戻ったのち、今度はオラニエ公ウィレム1世やエグモント伯らとともにスペインの反動的、弾圧的政策に反対し、64年にはその中心人物グランベラAntoine Perrenot de Granvela (Granvelle)(1517―86)枢機卿(すうききょう)を本国に退去させた。1567年フェリペ2世が派遣したアルバ公によって逮捕され、「血の裁判所」により、異端および反逆者として翌年6月5日、ブリュッセルの大広場においてエグモント伯とともに斬首(ざんしゅ)された。
[磯見辰典]