日本大百科全書(ニッポニカ) 「アルバ公」の意味・わかりやすい解説
アルバ公
あるばこう
Fernando Álvarez de Toledo, Duque de Alba
(1507―1582)
スペインの軍人、政治家。今日も存する名門貴族アルバ家の第3代公爵。スペイン中西部アビラに生まれる。17歳のときに北部国境での対仏戦争に参加、その功を国王カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)に認められ、1546年、新教諸侯、都市を相手としたシュマルカルデン戦争を指揮、翌1547年、ミュールベルクMühlbergの戦闘に勝利して、カルロスのヨーロッパ支配に大きく貢献した。1552年にはイタリアに赴き、ナポリ総督となって(1556)、フランスの攻撃に耐え、1559年、外相としてカトー・カンブレジの和約を結んだ。1567年にフランドル総督となり、当地の反スペイン運動を抑えるため「血の裁判所」とよばれた宗教裁判所を設置、エグモント伯、ホールン伯ら一万数千人を処刑した。しかし、その圧制と重税政策は、オランダ独立戦争の端緒をつくることになり、これを回避しようとした時の国王フェリペ2世によって帰国を命ぜられ(1573)、その後宮廷からも追放された。1580年にポルトガル征服に再び起用され、勝利を博したが、王の歓心を取り戻せないまま、1582年にリスボンで死去した。ティツィアーノの筆になる肖像画が、リリーア宮殿とよばれるマドリードの現アルバ公爵邸内にある。
[深澤安博]