ボードゥアンドクルトネ(英語表記)Jan Niecisław Baudouin de Courtenay

改訂新版 世界大百科事典 「ボードゥアンドクルトネ」の意味・わかりやすい解説

ボードゥアン・ド・クルトネ
Jan Niecisław Baudouin de Courtenay
生没年:1845-1929

ポーランドの言語学者。ロシアではIvan Aleksandrovich B.de Kourtenay。ロシアとポーランドの種々の大学で教鞭をとり,クルシェフスキ,ポリワノフ,シチェルバら多くのすぐれた言語学者を育てた。なかでも〈カザン学派〉は有名。ラングとパロール共時態と通時態,音と音素それぞれの区別の必要を早くより説いていたため,現在ではソシュールと並ぶ,構造主義言語学の先駆者と称されている。ことにプラハ言語学集団の機能主義に対する影響は少なくない。また,言語の体系性の重視,言語進化の説明に際してのエコノミーという概念の適用,音と文字の区別の強調などでも知られる。そのほか,一般言語学の分野以外でも,印欧比較言語学,スラブ諸語の比較歴史文法やタイポロジーに多くの業績を残している。ダーリのロシア語辞典の改訂者でもある。主著は《言語学と言語に関する若干の一般的所見》(1870),《音交替理論の試み》(1894)。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のボードゥアンドクルトネの言及

【音素】より

…この音素の規定は1930年代から40年代にかけて言語学の主要課題であった。音素については,これを具体的音声から抽出された音声概念とするポーランドの言語学者ボードゥアン・ド・クルトネの素朴な見解から,一方では心理的実在としてある型をなすものとするE.サピアの説および同質の音声のグループと解するD.ジョーンズの見方に進み,ついに音素は虚構であるというアメリカの言語学者トウォデルW.F.Twaddell(1906‐ )の極論にいたった。これに対し,L.ブルームフィールドは音素を物理的実体としてとらえる立場を表明した。…

【構造言語学】より


[構造言語学の先駆者たち]
 19世紀末から20世紀初頭にかけての言語研究は青年文法学派によるインド・ヨーロッパ語の史的比較研究(比較言語学)が主流をなし,生きた言語の記述や言語一般の性質の研究はあまり振るわず,しかも伝統的なギリシア・ラテン文法の概念や枠組みへの無批判な依存や,言語と意識・心理・思考を同一視ないし混同する俗流的解釈にとどまっていた。しかし,アメリカのサンスクリット学者W.D.ホイットニーや帝政ロシアの比較言語学者であるポーランド人のボードゥアン・ド・クルトネとカザン大学でのその弟子クルシェフスキMikołaj Kruszewski(1851‐87)らはすでに19世紀の70年代から80年代にかけてその著作や講義の中で社会的な伝達の手段としての言語の記号的性質を正しく把握し,その中心に弁別的機能をもつ音素的な単位を想定する考えを示した。彼らはいずれも諸言語に共通する,ことばの社会的機能や記号的性質を研究する普遍主義的・構造主義的な言語研究の新しい分野の可能性を説いたが,同時代の大多数の学者から無視される結果となった。…

【スラブ学】より

…87年よりウィーン大学の講座を担当したクロアチア人のヤギチVatroslav Jagić(1838‐1923)は,ドイツやロシアでも教壇に立ち,各国の研究者の連係をはかった。ロシアでは言語学者ないし文献学者のブスラーエフFyodor Ivanovich Buslaev(1818‐97),ポテブニャAleksandr Afanas’evich Potebnya(1835‐91),年代記の研究で知られるシャフマトフAleksei Aleksandrovich Shakhmatov(1864‐1920),文学研究のベセロフスキーAleksandr Nikolaevich Veselovskii(1838‐1906),総合的な《スラブ文学史》のプイピンAleksandr Nikolaevich Pypin(1833‐1904)などが輩出し,またポーランド出身の言語学者ボードゥアン・ド・クルトネ,クルシェフスキMikołaj Kruszewski(1851‐87)もおもにロシアで活動した。ポーランドでは《ポーランド語語源辞典》のブリュクネルAleksander Brückner(1856‐1939),民俗学のコルベルクOskar Kolberg(1814‐90),チェコではスラブ古代史のニーデルレLubor Niederle(1865‐1944)などが知られる。…

【八杉貞利】より

…日本のロシア語学界の先達の一人であり,現在日本でロシア語学の研究にたずさわる者の大部分は,直接・間接にその教えをうけている。東京帝国大学文科大学言語学科卒業後,1901年ロシアに留学して,ボードゥアン・ド・クルトネらについて比較言語学とスラブ語比較文法を修めたが,04年日露戦争が起こったため帰国,その間1903年に東京外国語学校(現在東京外国語大学)教授となり,37年定年退官まで,約30年にわたり同校ロシア語科主任教授の職にあり,そのかたわら東京帝国大学,早稲田大学などの講師をもつとめた。 代表的著書は《岩波版露和辞典》(1935)。…

※「ボードゥアンドクルトネ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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