改訂新版 世界大百科事典 「マイスターフランケ」の意味・わかりやすい解説
マイスター・フランケ
Meister Francke
生没年:1380ころ-1430ころ
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…ランブール兄弟がベリー公のために制作した《いとも豪華な時禱書》の月暦挿絵には,王侯から農民にいたる日常生活の克明な観察がベリー公所領の城館を背景に典雅な様式化により表現されており,国際ゴシック様式の代表作とされる。そのほか,各地の代表的作家をあげると,ドイツ領邦ではボヘミアの〈トシュボーニュTřeboň祭壇画〉の画家(生没年不詳),ケルンの〈聖ベロニカ〉の画家〉Meister der hl.Veronika(生没年不詳),ドルトムントのコンラート・フォン・ゾーストKonrad von Soest(1370ころ‐1425ころ),ハンブルクのマイスター・フランケなどがあげられる。なおボヘミアを中心にこの時期に制作された板絵や小型彫刻の甘美な聖母子像にみられる流麗な造形を〈柔軟様式Weicher Stil〉と呼ぶことも多い。…
…ドイツの板絵は各地方に多様な発達をし,プラハ,ウィーンはイタリアの影響をうけ,国際ゴシック様式の系統をとり,ケルン派は14世紀に甘美な画風をもってあらわれ,15世紀にロホナーのような大画家を生む。ハンザ同盟諸市は民衆的な率直な画風をむかえ,14世紀から15世紀初めにハンブルクでマイスター・ベルトラムMeister Bertram von Minden(1340ころ‐1415ころ)が名高く,同じころコンラート・フォン・ゾーストKonrad von Soest(1370ころ‐1425ころ)はケルン派の様式をまじえ,マイスター・フランケは国際ゴシック様式に近づいている。フランスやネーデルラントでは15世紀初め,マルーエル,ブルーデルラムや,《ベリー公のいとも豪華な時禱書》の装飾をしたランブール兄弟らが国際ゴシック様式の最後をかざり,やがてファン・アイクは写実主義を徹底させ,油彩技法によって個人的視覚を確立して,新しい近代絵画の第一歩を踏み出す(ヘントのシント・バーフ教会の《神秘の小羊》大祭壇画,1432)。…
※「マイスターフランケ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...