フランドル(読み)ふらんどる(その他表記)Flandre

デジタル大辞泉 「フランドル」の意味・読み・例文・類語

フランドル(Flandre)

ベルギー西部を中心として、オランダ南西部からフランス北東部にまたがる地方。中世以来毛織物工業が盛ん。フランダース

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精選版 日本国語大辞典 「フランドル」の意味・読み・例文・類語

フランドル

  1. ( Flandre ) ベルギーの西部を中心として、オランダの南西部からフランスの北端部までを含めた地方。一一世紀以降毛織物業で都市がさかえ、一四世紀にはブルゴーニュ公領、一五世紀にはハプスブルク家の所領となった。以後一八三一年のベルギーの独立まで、フランス、オランダなどの支配を受けた。英語名フランダース。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「フランドル」の意味・わかりやすい解説

フランドル
ふらんどる
Flandre

オランダ・ベルギー国境のスケルデ川エスコー川)下流域から、フランス北東部のアルトア丘陵にかけての北海沿岸地域。「フランドル」はフランス語名で、オランダ語名フラーンデレンVlaanderen、英語名フランダースFlanders。

[川上多美子]

地誌

現在のベルギーの東西両フランドル州(面積6126平方キロメートル、人口248万2716、1997)を中心とし、オランダのゼーラント州とフランスのノルド県、パ・ド・カレー県の一部が含まれる。ベルギーのアールスト、ヘント、ブリュッヘトゥールネー、フランスのリールなどこの地域の主要都市は、中世以来、毛織物工業の中心地。金属・化学工業も発達し、フランスのダンケルクは臨海型の最新設備を備えた鉄鋼業都市となっている。またベルギーのオーステンデとフランスのカレーは、イギリスとの間に連絡船や鉄道が通ずる交通の要地である。住民の大部分はオランダ語系のフラマン語を話すフラマン人系である。

[川上多美子]

歴史

フランドル地方は紀元前1世紀にはローマ人が、紀元4世紀にはフランク人が占有するところであった。フランク王国領となった後、843年のベルダン条約で西フランク領に属した。862年にはブリュッヘを中心とするフランドル伯領が形成され、その後フランス国王領と神聖ローマ皇帝領に分割された。中世には商業の復活とともに海上交易の振興と毛織物産業の著しい発展がみられ、国際商業の中心地となる。イングランドから北海沿岸、ライン川下流域に広がる北西ヨーロッパ都市圏と南の北イタリア都市圏の中間地点に位置したフランドルには、イーペル、ヘント、ブリュッヘといった珠玉の中世都市が形成され、産業育成と交易とにおいて豊かな都市生命力を胚胎(はいたい)し続けた。しかし12世紀よりフランドルはフランス国王の強く干渉するところとなり、ことにフィリップ4世はフランドル伯領の統治に意欲を示した。しかしフランドル市民はその強大な経済力を背景に封建領主に対して市政自治の自由を要求して闘争を繰り広げていった。フランスとイングランドの商戦隊の相互略奪に端を発し、イングランドはフランドル向けの羊毛の積出しを停止し、同時にフランドルの織布の輸入を停止した。羊毛の輸入が困難となったことでフランドル諸都市には失業者があふれた。さらにフランドル市民軍がルースベクの戦い(1382)でフランス軍に制圧されるなど、当地域の支配権の争奪はやがて英仏の百年戦争(1337~1453)に道を開いた。

 1369年フランドルはブルゴーニュ侯領に編入され、文化史上に異彩を放つ一時代を画したことは文化史家ホイジンガの『中世の秋』(1919)に詳しい。1477年フランドルは神聖ローマ帝国ハプスブルク家の所領に、ついで同家のスペイン王位継承によりスペイン領となる。オランダ独立戦争の際、南ネーデルラントに属するフランドルはカトリック・スペイン領にとどまり、以後しばしば国際紛争の舞台となる。ウェストファリア条約(1648)によりフランドル北部はオランダ、南部はフランスに割譲された。フランス革命、ナポレオン時代には一時北部もフランス領に帰属したが、ウィーン会議(1814)により全域がオランダ領とされた。やがて北部優遇政策への反感から1830年にベルギーが君主国家として独立し、このとき東西フランドル州が誕生した。

 19世紀にはナショナリズムリベラリズムの高揚でフランドルはベルギーの精華と称され、フラマン・ワロン問題という言語政策の渦中に投下された。20世紀に入って活発化するフランドル民族主義者の活動は、一時同じ民族主義を唱え、またイギリス進出をねらうドイツ第三帝国との提携を許した。1993年ベルギーは連邦国家へと刷新され、北部に「フランドル地域」「オランダ語共同体」そして南部に「ワロン地域」「フランス語共同体」が構成されるなど、言語別地方分権化が進められている。フランドルは政治、経済、宗教、言語とまことに輻輳(ふくそう)とした歴史を有している。

[藤川 徹]

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改訂新版 世界大百科事典 「フランドル」の意味・わかりやすい解説

フランドル
Flandre
Flandres

フランス北端部からベルギー西部にかけての地方で,北海,スヘルデ川,アルトアArtois丘陵に囲まれた地域を指す。オランダ語ではフランデレンVlaanderen,英語ではフランダースFlanders。中世にフランドル伯領のもとで最盛期を経験し,歴史的なまとまりをなした。

 先史時代から定住は密であったが,最初の本格的な開発は,カエサルによる征服以降,ローマ人によって行われた。ゲルマン人の定住はサリー系フランク族を中心とし,7世紀に創建されたいくつかの大修道院を中心にキリスト教化と農村開発が進み,北海岸の港を通じてイングランドとの交易も発達する。しかし,中世初期にはフランク王国の北西端を占め,その中核地帯には属していなかった。バイキングの侵攻からかなりの被害を受けたフランドルは,王権に代わってブリュージュヘントに城塞を築いた有力領主のもとで,地域的結集の方向をとる。初代フランドル伯とされる9世紀末のボードゥアンBaudouin1世(鉄腕伯)から11世紀中葉までは,なお離合集散が激しかったが,12~13世紀には,地域開発政策と十字軍での活躍で著名なアルザス家のティエリーThierryやフィリップPhilippeのような名君のもとで,当時のヨーロッパで最も中央集権的な領邦を形成した。それは,フランス王国の北端をなしつつも,スヘルデ川以東の神聖ローマ帝国内部にも領地を拡大し,やはり帝国内部のエノーHainaut伯領とは,しばしば同一の伯によって統治された。こうして,フランドル伯は同時にフランス国王とドイツ国王との封臣であり,イングランドとも羊毛の輸入を軸として緊密な関係を結び,ヨーロッパ政治において独特な地位を確保していた。

 中世におけるフランドル伯領発展の最大の基礎は,ヨーロッパ随一の毛織物工業と都市の発展である。紀元1000年前後から,開墾が進み農業生産が拡充するに応じ,また伯の主導によって定期市設置や都市建設が進められ,多数の都市が形成された。なかでも,フランドルの特産であった毛織物の主産地ヘント,ブリュージュ,イーペル,ドゥエなどが急速に成長する。これは,11世紀以降遠隔地商業の発達に伴い,イングランド羊毛を原料とする高級毛織物の輸出産業が都市に集中したためである。13世紀前半までには,毛織物関連の遠隔地商業,市内の土地所有,および市政機関を独占する上層市民,すなわち都市貴族の指導下に,都市共同体が団結を固め,自由と自治を盛り込んだ特許状を伯から獲得し,また市壁などの公共施設が建設されて,都市生活の骨格が整えられた。13世紀末から,内部では農村と小都市での,外部ではイギリスでの,毛織物工業の発展によって,大都市は生産構造の転換を迫られていたが,手工業者は同職組合(ギルド)を結成し,民衆を糾合して都市貴族の支配体制を打破しようと闘争を挑んだ。しだいに遠隔地商業から手を引く都市貴族,政治的・経済的に地位を高めながら内部から商人や問屋主を分出させていた手工業者,市民各層と結んで都市支配を図るフランドル伯,その主君としてフランドル全体の支配を強化しようとするフランス国王,羊毛の,後には毛織物の輸出地としてフランドルに大きな利害を持つイギリス国王,これらの諸勢力の対立と結合から14世紀のフランドルは多くの複雑な闘争の舞台となり(百年戦争),市民層の実力を示す事件もたびたび起こった。そのなかでブリュージュはヨーロッパ北部最高の商業・金融中心地に成長し,輸出毛織物工業が不振に陥ったヘントでさえ,14世紀後半には5万5000前後の人口を維持して,ヨーロッパ北部最大の都市であった。

 1384年ブルゴーニュ公国への編入以降,フランドルは自律的な政治的地位を失い,1477年からはハプスブルク家に領有されスペインやオーストリアから属領として支配される。17世紀には最北端がオランダ領に,南部は中心都市リールを含めてフランス領となった。フランス革命後ほぼ全体がフランスに,ついでオランダに属した後,1830年のベルギー独立以降ベルギーの東西フランドル州とフランスのノールNord県(県都リール)となった。この間,毛織物工業の中心はイギリスに移りフランドルの黄金時代は過ぎ去っていたが,なおヨーロッパ史にいくつかの輝かしい寄与を残している。すなわち,オランダ独立戦争(八十年戦争)の起点となった16世紀のルター派とカルバン派の運動,18世紀ヨーロッパの農法を変革した小規模経営の集約的農業技術(フランドル農法),繊維工業や石炭産業を中心とした,大陸では一歩先んじた産業革命,などである。また,ファン・アイク兄弟に代表される初期フランドル絵画,ルーベンスに代表されるバロック絵画も,フランドルの芸術上の貢献を示している(フランドル美術)。

 なお,ベルギーの東フランドル州は面積2981km2,人口138万(2005),州都ヘント,西フランドル州は面積3132km2,人口113万8500(2005),州都ブリュージュ。
ベルギー
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百科事典マイペディア 「フランドル」の意味・わかりやすい解説

フランドル

ベルギー西部を中心に,北フランス,南オランダの一部を含む地方。英語ではフランダースFlanders。住民の大部分はフラマン人でフラマン語を話す。ヘントブリュージュ(ブルッヘ),イーペル,リールなどの都市がある。最初フランク王国領で,12―13世紀ころからヨーロッパの商業中心となり毛織物業も急速に発達した。1384年ブルゴーニュ公国編入以後は自律的地位を失い,オランダとフランスの支配を受けたが,1830年ベルギー独立後はベルギーの東西フランドル州とフランスのノール県となった。また経済的繁栄に支えられたフランドルは,芸術の面でもファン・アイクルーベンスら優れた画家を多く輩出した(フランドル美術)。またこの地域は,ベルギーが拠点のカトリック修道団体,ベギン会が広まった場所でもあり,ブリュージュ,ヘント,リールなどに点在するベギン会修道院は集合住宅の発展過程を知る上で重要であるとして1998年,世界文化遺産に登録されている。
→関連項目オランダフラマン語フランス

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フランドル」の意味・わかりやすい解説

フランドル
Vlaanderen; Flandre; Flanders

歴史的地名としてはネーデルラント南東部の伯爵領で,現在のフランス領ノール県,ベルギー東・西フランデレン州,オランダ領ゼーラント州の一部。その名前は8世紀に始り,「水に埋もれた地方」を意味する。 843年ベルダン条約で西フランクに属し,862年辺境伯領になり,北海とスヘルデ川の間に勢力を築いた。 11世紀以降毛織物業が繁栄し,それとともに遠隔地貿易が発達し,ヘント,ブリュッヘ,イープル (イーペレン) などの諸都市が栄えた。 13世紀末から百年戦争にかけて,この富裕な地方に政治的野心をもつフランスとイングランド,支配者のフランドル伯,フランドル諸都市内部の都市貴族とこれに対立する職人層が入り乱れて複雑な対立と紛争を繰返した。 14世紀末ブルゴーニュ公領となり,続いてハプスブルク家の支配に属した。 16世紀中頃スペイン・ハプスブルク家の領土となり,ネーデルラント諸州のうちオランダは独立したが,フランドルは他の南部諸州とともにスペインの支配下に残った。 17世紀中,その南部をフランスのルイ 14世により奪われ,北部をオランダに奪われた。スペイン継承戦争の結果,1713年オーストリア領となり,さらにナポレオン1世によるフランスへの併合を経てオランダ王国領となり,1830年ベルギーの独立によりベルギー領になった。2度の世界大戦には重要な戦場となった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「フランドル」の解説

フランドル
Flandre

現在のベルギーを中心に,フランス北部の一部とオランダ南部の一部を含む地方
ネーデルラントの一部。中世から交通と毛織物業の中心として栄えた。中心都市としてブリュージュ,ガンがある。百年戦争はギュイエンヌ地方とともにこの地方の支配権をめぐって起こった。16世紀のオランダの独立運動では,この地方はスペインの支配下にとどまり,1830年のベルギーの独立宣言までオーストリア・フランス・オランダと順次支配された。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「フランドル」の解説

フランドル

フランデレン

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世界大百科事典(旧版)内のフランドルの言及

【染色】より

…染料や媒染剤は高価な輸入品であり,染色技術は高度化し,営業上の秘密となった。 中世織物業の中心地フランドルでは,良質のイングランド産羊毛をもとに優れた織布が製造され,染色と艶出しによる仕上げはとくに秀でていた。ここでは13世紀に早くも問屋制度が発達し,織元が羊毛や染料などを仕入れ,完成品を販売した。…

【ベルギー】より

…そのため,この国の誕生(独立)は1830年と比較的新しく,現在の領域自身もこうした歴史的経過の中でしだいに形づくられたものにほかならない。
【自然,地誌】
 ベルギーの地形は全体として平坦であるが,国のほぼ中央を東西に貫くサンブル=ムーズ川の流域を境に,北部のフランドルやケンペンKempenの低地と,中部の丘陵地,南部のアルデンヌ山地に分けることができる。北部は,スヘルデ川(およびその支流のレイエLeie川,デンデルDender川,ネーテNete川,リューペルRupel川)の流域で標高100m以下の低地が広がる。…

※「フランドル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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