知恵蔵 「マッテオ・レンツィ」の解説
マッテオ・レンツィ
レンツィは、フィレンツェ大学卒業後、1996年にイタリア人民党に入党、99年には同党フィレンツェ州書記長に就任した。人民党が2002年に合流してできた新党・マルゲリータ(DL)結成に参画。04年6月のフィレンツェ県知事選ではDL公認の中道左派連合候補として当選、知事を5年間務めた。07年のDLと左翼民主主義者(DS)統合による民主党(PD)結成に参画。09年6月のフィレンツェ市長選にPD公認で出馬し当選。14年2月までフィレンツェ市長を務めた。13年12月からは民主党書記長にも就任している。14年2月17日、ジョルジョ・ナポリターノ大統領より閣僚評議会議長の指名を受けた。同職は行政府の長に当たるため、一般にこれを首相と称する。同月22日に組閣作業を完了させて正式にレンツィ内閣が発足した。
イタリアの景気は経済危機の影響で冷え込み、若者の失業率が40%を超す。その要因は重い税負担と社会保障負担と指摘されており、企業・労働者の税・社会保障負担の人件費に占める割合が高い傾向が続いている。レンツィ首相は所信表明で、経済政策の「抜本的な刷新」を実施すると表明。企業・労働者の税・社会保障負担を6月までに10%以上軽減し、中小企業への支援を強化する。若者向け新規雇用の創出を促し、国際競争力を高めるなどとしている。レンツィ新内閣は、上下両院で信任を取り付けたが、レッタ前政権同様に、中道左派のPDと小政党の連立による「寄り合い所帯」であることは変わらない。PD党内にも対立要素をはらんでおり、難しい政権運営を迫られると予想される。国政経験のないレンツィではあるが、同国の政治腐敗や財政危機を打開する政権の担い手として期待が集まっている。
(金谷俊秀 ライター / 2014年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報