マッラ(読み)まつら

改訂新版 世界大百科事典 「マッラ」の意味・わかりやすい解説

マッラ
Malla

古代北インドの部族。前6世紀ごろマッラの国家は〈十六大国〉の一つであったが,釈迦在世中にはパーバーPāvāとクシーナーラーKusīnārā(クシナガラ)をそれぞれ都とする両勢力に分裂していた。分国のいずれにおいても部族共和制(サンガ)を採用し,公会堂集会を開いて重要問題を決定している。クシーナーラーはまた釈迦入滅の地としても名高い。マッラ国は南隣のマガダ国に滅ぼされたが,その滅亡年は明らかではない。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のマッラの言及

【合の子船】より

…ただし,帆装に関する限り洋式が優れていることは衆目の認めるところであったので,船体は和船,帆は洋帆という珍妙な船が誕生した。すなわち,在来のべざい船,だんべい船,いさば船などの船体の,棚板の屈曲部に“まつら”と呼ばれる松の曲り材を当てて補強し,鎖国下の和船のシンボルであった単檣(たんしよう)四角横帆に,ジブ,スパンカー,ラグセールなどの三角形や台形の縦帆を付加したり,さらには帆柱を2本にしてスクーナー型の帆をあげたりして帆走性能の向上を図ったのである。【小佐田 哲男】。…

【ニヤーラー】より

…76年日本からの円借款によりチャド国境に近いザリンゲイまでの道路が建設されている。北方約60kmにマッラ山Jabal Marra(3071m)があり,緑美しい山として知られている。【塩尻 和子】。…

【スーダン】より

…両ナイル川とアトバラ川に囲まれたジャジーラal‐Jazīra,ブターナ両地域は灌漑がいきとどいたスーダン経済の中核である綿生産地域であり,最も人口が密集する地域である。白ナイル川の西側のコルドファンKurdfān,その奥の西部国境沿いのダルフールDārfūrの両地方は完全な砂地の荒野で,それぞれヌーバ山脈,マッラMarra山脈を抱き,丘陵・山岳地帯が多い。だがここは,雨季を迎えると絶好の牧草地や,アラビアゴムを採るアカシアなどの灌木林に変貌する。…

【ネワール】より

…彼らは古くから都市文明を培い,シャハŚāh王朝による現ネパール王国の統一(1768∥69)以前に盆地とその周辺を版図とするいくつかの王朝を築いた。7世紀前後数世紀にわたって存在したリッチャビLicchavi王朝の繁栄は中国の史書にも見え,また13~18世紀のマッラMalla王朝時代には建築,彫刻などの工芸や学問が開花した。今日ネワールは一般に商才にたけた人々として知られ,全人口の半数近くが盆地外の町に進出し,商業,官庁勤め等の仕事に携わっている。…

※「マッラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android