マンスフェルト家(読み)マンスフェルトけ(その他表記)Mansfelder

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マンスフェルト家」の意味・わかりやすい解説

マンスフェルト家
マンスフェルトけ
Mansfelder

ドイツ史上の名家ザクセンアンハルトの南に領地をもっていたマンスフェルト伯を始祖とする。マンスフェルト・ホーバー (1115没) はサリ=フランク族を支援してザクセンに敵対し,戦死家系は一時断絶したが,その後再興されて,フォルダー (前) ,ヒンター (後) の両家に分れ,ヒンター家のゲルハルト (1558没) とアルブレヒト (1480~1560) は M.ルターの保護者として知られた。フォルダー家からさらに6家が派生し,このうちフリーデブルク家のペーター・エルンスト1世 (17~1604) は神聖ローマ帝国の公家を創設。 1780年マンスフェルト家の男子継承者が絶えたため,女子後継者と結婚していたコロレド公が,89年にコロレド=マンスフェルト公家を創設。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む