ゲルハルト(読み)げるはると(英語表記)Hubert Gerhard

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゲルハルト」の意味・わかりやすい解説

ゲルハルト(Karl Christian Adolph Jacob Gerhardt)
げるはると
Karl Christian Adolph Jacob Gerhardt
(1833―1902)

ドイツ医学者。中部ドイツのシュパイエルに生まれ、ウュルツブルク大学で医学を修め、1858年卒業。同大学講師を経て、1861年イエナ大学教授、1872年ウュルツブルク大学教授となり、1885年ベルリン大学に移った。喉頭(こうとう)部、とくに気管・声帯の疾患精通声帯麻痺(まひ)の研究がある。小児科内科にも通じ、『小児病教科書』を編し、『聴診と打診』の著作もある。

[大鳥蘭三郎]


ゲルハルト(Paul Gerhardt)
げるはると
Paul Gerhardt
(1607―1676)

ドイツ、プロテスタントの詩人。ザクセン出身。教義上の問題について牧師の職を賭(か)け、神学者としての良心を貫く。『今やすべての森が休らう』『出でよ、わが心、喜びを求めよ』『汝(なんじ)の道を示したまえ』などの賛美歌は、素朴な民謡風で深い宗教的感情、自然に対するういういしい感受性を歌う。ルターの戦闘的信仰告白から、内面的、個人的な祈りへとテーマの転換を示している。

[小泉 進 2018年1月19日]


ゲルハルト(Hubert Gerhard)
げるはると
Hubert Gerhard
(1550ころ―1620)

ドイツ・マニエリスムの代表的な彫刻家オランダに生まれ、ミュンヘンで没。1581年ドイツの財閥フッガー家に招かれて以来南ドイツで活躍した。ボローニャGiovanni da Bologna(1529―1608)の弟子と推定される。87年以後ウィルヘルム5世に仕え、ミュンヘンの城や教会の仕事に従事した。代表作アウクスブルク噴水、ミュンヘンのミヒャエル聖堂正面の『聖ミヒャエル像』。

[野村太郎]


ゲルハルト(Eduard Gerhard)
げるはると
Eduard Gerhard
(1795―1867)

ドイツの考古学者。古代史家ベックの門下生で、同じ古代史家のニーブールに招かれてローマにくる。エトルクスの十二大都市の一つブルチで1828年に発見されたおびただしいギリシア陶器を研究して、『ブルチ報告書』を刊行。ローマに「考古学通信院」を設立し、ベルリン博物館設立にも加わる。『考古学綱要』などの著書で古典考古学の基礎理論を確立した。

[江谷 寛]


ゲルハルト(Elena Gerhardt)
げるはると
Elena Gerhardt
(1883―1961)

ドイツ生まれのメゾ・ソプラノ歌手。生地のライプツィヒ音楽院に学び、同音楽院院長で指揮者のニキシュに認められ、1904年彼の伴奏によりデビュー。一時はオペラにも出演したが、シューベルト、ブラームス、ウォルフらのドイツ歌曲の解釈で名声を確立した。34年ロンドンに移住、のちイギリスに帰化、おもに教育活動に努め、同地に没した。

[美山良夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ゲルハルト」の意味・わかりやすい解説

ゲルハルト
Gerhardt, Johann

[生]1582.10.17.
[没]1637.8.17.
ドイツのルター派神学者。ヘルトブルクの監督,コーブルクの総監督を経てイェナ大学神学教授 (1616~37) 。アリストテレス哲学の流れをくみ,メランヒトンの影響を受けて,その神学は強い形而上学的傾向を示す。『神学総論』 Loci theologici (9巻,10~20) は,メランヒトン以来のルター派正統主義の頂点に立つ体系的著述である。ほかに『公同の信仰告白』 Confessio catholica (4巻,34~37) では,カトリックに対してルター派教義を弁証。『聖なる瞑想録』 Meditationes Sacrae (06) では,教会生活について述べている。

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