アルブレヒト(英語表記)Albrecht von Brandenburg

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アルブレヒト」の意味・わかりやすい解説

アルブレヒト[ブランデンブルク]
Albrecht von Brandenburg

[生]1100頃
[没]1170.11.18.
ブランデンブルク辺境伯。「熊伯」Albrecht der Bärの異名をもつ。ザクセンの貴族アスカニエル家の出身で,両親の死後ザクセンの広大な領土を受け継いだ。またブランデンブルク侯プリビスラウスとの協定で,死後,その領地を獲得,ブランデンブルク辺境伯の称号を名のり,その地に低地ドイツ人を移住させ,ブランデンブルク辺境伯領の基礎をつくった。ホーエンシュタウフェン朝フリードリヒ1世治下の神聖ローマ帝国の重要な官職を受け,1162年にはフリードリヒ1世の北イタリア,ロンバルディア諸都市への遠征に従ってイタリアへ赴き,ミラノの強襲で名をあげた。たびたびウェルフェン家と争い,ザクセン公領を失ったが,フリードリヒ1世とウェルフェン家のハインリヒ獅子公との対立に際し,1164年ハインリヒに対する諸侯連合を形成し,フリードリヒの帝国政策を助けた。

アルブレヒト[マインツ]
Albrecht von Mainz

[生]1490.6.28.
[没]1545.9.24. マインツ
ドイツ,マインツの聖職者。ブランデンブルク選帝侯ヨハン・キケロの次男。 1513年マクデブルクの大司教,14年マインツの大司教になったが,それに要した費用をフッガー家から借り,その返済にあてるため贖宥状 (免罪符 ) を販売。これが 17年ルターの「九十五ヵ条の提題」による宗教改革運動の開始を招いた。 18年枢機卿になり,19年の神聖ローマ皇帝選挙では多額の金と引替えに,のちのカルル5世を支持。彼は人文主義を尊重し,初めプロテスタントに寛大であったが,ドイツ農民戦争 (1524~25) 以後カトリックを支持するようになった。

アルブレヒト[プロシア公]
アルブレヒト[プロシアこう]
Albrecht

[生]1490.5.17. アンスバハ
[没]1568.3.20. タピアウ
ドイツ騎士団国家最後の首長 (在位 1510~25) ,初代のプロシア公 (在位 25~68) 。アンスバハ系のホーエンツォレルン家の生れで,母がポーランド王女だったことから,1510年ドイツ騎士団長に選ばれた。ポーランドとの戦争 (19~21) で国土が荒廃したのち,M.ルターの助言を得て,25年に宗教改革を行い,プロシア公を名のった。ケーニヒスベルク大学 (44) の創立者としても著名

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