マンティネイアの戦(読み)マンティネイアのたたかい

改訂新版 世界大百科事典 「マンティネイアの戦」の意味・わかりやすい解説

マンティネイアの戦 (マンティネイアのたたかい)

前418年のスパルタアルゴス戦いアルキビアデス説得で,アルゴス同盟諸国とアテナイ勢はオルコメノスを陥れた。これに対してスパルタはテゲア軍とともにマンティネイアMantineiaに向かった。マンティネイア近傍でギリシア史空前の規模戦闘が行われたが,スパルタは圧勝して威信を回復した。なお,同名の戦いが前362年スパルタとテーバイの間で行われ,エパメイノンダスが率いる後者が勝利した。
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世界大百科事典(旧版)内のマンティネイアの戦の言及

【エパメイノンダス】より

…前364年にはアテナイの海上支配に対抗し,船隊を率いてエーゲ海を航行した。前362年,4度めのペロポネソス半島侵入を行うが,マンティネイアの戦でスパルタ・アテナイ連合軍と交戦,戦死した。彼の死後テーバイの勢力は急速に衰えた。…

※「マンティネイアの戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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