ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アルキビアデス」の意味・わかりやすい解説
アルキビアデス
Alkibiadēs
[没]前404. フリュギア
古代ギリシア,アテネの政治家,将軍。名門アルクメオン家の出身。ペロポネソス戦争では故国を敗北に導く原因をつくった。ソクラテスの弟子で,ポチダイアの戦いではソクラテスに助けられ,デリオンの戦いではソクラテスを助けた間柄であった。前 421年政界に進出し,ニキアスに対立して反スパルタ同盟を工作。前 418~417年ニキアスがトラキア遠征に失敗するとシチリア遠征を提唱,ニキアスの反対を押切って将軍に選ばれた。その出発前夜ヘルメス像破壊事件で,涜神罪に問われ,シチリアで召還されたがスパルタに逃げ,死罪の宣告を知って,スパルタにシラクサへの援軍派遣とデケレイアに要塞を築くことを忠告した。さらに小アジアに渡りアケメネス朝ペルシアの提督チサフェルネスにスパルタとの同盟を説いた。しかしスパルタ王の不興を買うと,チサフェルネスにアテネとの和解をすすめ,アテネの寡頭派にペルシアの支援を代価に召還交渉をして失敗したのち,トラシュブロスに召還された。帰途アビュドスとキュジコスでスパルタを破り (前 411,前 410) ,カルケドンとビザンチオンを奪回。前 407年アテネに熱狂的に迎えられた。しかし前 406年部下がノチオンで敗れてからトラキアに退き,さらにアテネの敗北後フリュギアに亡命し,そこで暗殺された。アルキビアデスは人間的魅力に富み,政治的・軍事的能力もすぐれていたが,無節操きわまりなく,彼の政治的行動はすべて利己的打算に基づいていた。そのためアテネ,スパルタ,ペルシアからの信頼を失い,悲惨な最期をとげた。アルキビアデスの行動によってソクラテスの裁判が不利に作用したことは疑う余地がない。
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