20世紀西洋人名事典 「ミハイルボロジン」の解説
ミハイル ボロジン
Mikhail Markovich Borodin
1884.7.9 - 1951.5.29
ソ連の政治家。
元・「モスコー・ニューズ」編集長。
チェコスロバキア生まれ。
本名グルゼンベルグ〈Gruzenberg〉。
別名キリル(Kirill〉。
ユダヤ系で、1903年ロシア社会民主労働党に入党、早くから地下運動と亡命生活を続け、’07〜18年米国に在住、ロシア政治犯の救援活動に従事、ロシア革命後コミンテルンの活動家として各国に派遣、’23年孫文に招かれて広東政府最高顧問となり中国解放に尽。’27年国共分裂後帰国、その後貿易人民委員代理、タス通信副社長、ソビエト情報局局長を務め、’49年「モスコー・ニュース」誌編集長となる。’51年粛清により獄死、後名誉回復される。
出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報