日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヒューストン」の意味・わかりやすい解説
ヒューストン(John Huston)
ひゅーすとん
John Huston
(1906―1987)
アメリカの映画監督。ミズーリ州ネバダ生まれ。父は俳優のウォルター・ヒューストン(1884―1950)。ボクサー、騎兵隊大尉、俳優、記者などを経て、1938年脚本家としてハリウッドに落ち着く。1941年、ハードボイルド映画の傑作『マルタの鷹(たか)』で監督デビューを飾る。金の採掘をめぐる3人の男の争いを描いた『黄金』(1948)ではアカデミー監督賞・脚本賞を受賞、これには父も出演してアカデミー助演賞を得た。以後『キー・ラーゴ』(1948)、『アスファルト・ジャングル』(1950)、『アフリカの女王』(1951)、『白鯨』(1956)、『荒馬と女』(1961)、『天地創造』(1966)、『ロイ・ビーン』(1972)、『勝利への脱出』(1981)、『アニー』(1982)、遺作『ザ・デッド』(1987)と幅広く活動を続けた。父譲りの俳優としても才能を示し、自作のほかにも出演作品は多い。
[宮本高晴]
資料 監督作品一覧
マルタの鷹 The Maltese Falcon(1941)
追憶の女 In This Our Life(1942)
パナマの死角 Across the Pacific(1942)
黄金 The Treasure of the Sierra Madre(1948)
キー・ラーゴ Key Largo(1948)
ストレンジャーズ6 We Were Strangers(1949)
アスファルト・ジャングル The Asphalt Jungle(1950)
勇者の赤いバッヂ The Red Badge of Courage(1951)
アフリカの女王 The African Queen(1951)
赤い風車 Moulin Rouge(1952)
悪魔をやっつけろ Beat the Devil(1953)
白鯨 Moby Dick(1956)
白い砂 Heaven Knows, Mr. Allison(1957)
黒船 The Barbarian and the Geisha(1958)
自由の大地 The Roots of Heaven(1958)
許されざる者 The Unforgiven(1960)
荒馬と女 The Misfits(1961)
フロイド 隠された欲望 Freud(1962)
秘密殺人計画書 The List of Adrian Messenger(1963)
イグアナの夜 The Night of the Iguana(1964)
天地創造 The Bible : In the Beginning...(1966)
007 カジノ・ロワイヤル Casino Royale(1967)
禁じられた情事の森 Reflections in a Golden Eye(1967)
華麗なる悪 Sinful Davey(1969)
愛と死の果てるまで A Walk with Love and Death(1969)
クレムリンレター The Kremlin Letter(1970)
ゴングなき戦い Fat City(1972)
ロイ・ビーン The Life and Times of Judge Roy Bean(1972)
マッキントッシュの男 The MacKintosh Man(1973)
王になろうとした男 The Man Who Would Be King(1975)
勝利への脱出 Escape to Victory(1981)
アニー Annie(1982)
火山のもとで Under the Volcano(1984)
女と男の名誉 Prizzi's Honor(1985)
ザ・デッド 「ダブリン市民」より The Dead(1987)
ミスター・ノース 風をはこんだ男 Mr. North(1988)
ヒューストン(アメリカ合衆国)
ひゅーすとん
Houston
アメリカ合衆国、テキサス州南東部、ハリス郡の郡都で、商工業都市。人口195万3631、大都市圏人口466万9571(2000)。テキサス州最大の都市である。メキシコ湾から約80キロメートル内陸に位置するが、ガルベストン湾を通りメキシコ湾とつながるヒューストン・シップ水路に面しており、ヒューストン港の取扱いトン数は全米3位である。年間約5500隻の船が入港し、世界の約250の港と結び付いている。ヒューストンの最大の産業は石油化学工業であり、市内には巨大な精油施設が並び、全米の石油化学の50%、合成ゴムの80%を生産する。この石油化学産業の基盤は、周囲に広がる大油田地帯である。また、天然ガスの産出量も多い。石油化学のほかに、機械製造、宇宙産業、電気器具、造船、製紙などの工業が発達している。周辺は農業地帯でもあり、ヒューストンはその農産物の集散地として、食肉加工、綿花工場などがある。
1823年に現在ヒューストンの一部となっているハリスバーグに定住が開始され、36年にヒューストンが建設された。ヒューストンという地名は、テキサスがメキシコと独立戦争を戦ったときのテキサスの将軍S・ヒューストンにちなむ。ヒューストンは1837~39年にテキサスの首都であった。1850年代にテキサス地方の鉄道網の中心となり、19世紀後半は綿花の集散地として発展したが、1901年に周辺地域で油田が発見されてから急速に成長した。1914年にはメキシコ湾とヒューストン港を結ぶ水路が改修され、その後、沿岸の石油の開発によっていっそう発展した。油田地帯の天然ガス、硫黄(いおう)、岩塩、石灰石も石油化学工業発展の基礎となった。また、1961年にヒューストンの郊外にNASA(ナサ)(アメリカ航空宇宙局)の有人宇宙船センター(のちにジョンソン宇宙センターと改称)が設置され、周辺地域に電子工学をはじめとする宇宙産業が発達した。市内には主要石油会社の本社が集中する。教育関係では、ライス大学、テキサス・サザン大学、ヒューストン大学などがある。市の南部にあるテキサス・メディカル・センターは、約90ヘクタールの面積に23の病院と研究所、二つの医科系大学があり、2万6000人の人々が働き、年間150万人を治療する。またスポーツ施設では、開閉式のドーム球場ミニッツメイドパークが有名である。
[菅野峰明]