現代外国人名録2016 「ミハイロペトロヴィッチ」の解説
ミハイロ ペトロヴィッチ
Mihailo Petrovic
- 職業・肩書
- サッカー監督(浦和レッズ)
- 国籍
- オーストリア
- 生年月日
- 1957年10月18日
- 出生地
- ユーゴスラビア(セルビア)
- 経歴
- ユーゴスラビア(現・セルビア)生まれで、国籍はオーストリア。ユーゴスラビアのオリンピア・ライバッハやディナモ・ザグレブでプレーし、1980年W杯スペイン大会予選にユーゴスラビア代表として出場。’85〜93年オーストリアのシュトルム・グラーツでプレー。’93年引退し、同年からオーストリアのSVペラウで監督としてスタート。’98年スロベニアのプリモアージェ、’99年ドモザーレ、2000年プリモアージェ、2001年オリンピア・ライバッハ、2002年ムラ、2003年シュトルム・グラーツなどで監督を歴任。2006年6月Jリーグのサンフレッチェ広島監督に就任すると、若手の登用とコンバートでチーム力を高め、同年はJ1で10位。2007年は16位に沈み、J2に降格したが、1年でJ1に復帰。2009年J1で4位、2010年は7位。同年クラブ史上初めてナビスコ杯決勝に進出し、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)初出場を果たした。2011年リーグ7位で、同年限りで退任。2012年浦和レッズ監督に就任。同年リーグ3位、2013年6位、2014年2位。2015年から2ステージ制に移行したJ1で、第1ステージを無敗で優勝、自身初のタイトルを獲得した。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報