ミールザーアーガーハーンケルマーニー(その他表記)Mirzā Āqā Khān Kermānī

改訂新版 世界大百科事典 の解説

ミールザー・アーガー・ハーン・ケルマーニー
Mirzā Āqā Khān Kermānī
生没年:1853・54-96

イランの啓蒙思想家。ケルマーン地方のバルドシールに地主の子として生まれる。ケルマーンで基礎的なイスラム諸学を修めた後,イラン各地を遍歴。その後イスタンブールに移り,同地発行の《アフタル紙上カージャール朝の専制的支配体制批判の論陣を張る一方,理性主義を唱え,反宗教活動を展開した。西欧思想に精通し,アナーキズム,社会主義の運動にも影響を受けた。カージャール朝君主ナーセロッディーン・シャー暗殺事件(1896)を機に,オスマン帝国政府により逮捕・拘禁され,その後イラン当局に引き渡されてタブリーズで刑死した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む