ミールザーアーガーハーンケルマーニー(その他表記)Mirzā Āqā Khān Kermānī

改訂新版 世界大百科事典 の解説

ミールザー・アーガー・ハーン・ケルマーニー
Mirzā Āqā Khān Kermānī
生没年:1853・54-96

イランの啓蒙思想家。ケルマーン地方のバルドシールに地主の子として生まれる。ケルマーンで基礎的なイスラム諸学を修めた後,イラン各地を遍歴。その後イスタンブールに移り,同地発行の《アフタル紙上カージャール朝の専制的支配体制批判の論陣を張る一方,理性主義を唱え,反宗教活動を展開した。西欧思想に精通し,アナーキズム,社会主義の運動にも影響を受けた。カージャール朝君主ナーセロッディーン・シャー暗殺事件(1896)を機に,オスマン帝国政府により逮捕・拘禁され,その後イラン当局に引き渡されてタブリーズで刑死した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む