イラン南東部の都市。ケルマーン州の州都。テヘランの南東約1100キロメートル、標高1749メートルの高原に位置し、北にルート砂漠を控える。人口38万4991(1996)、53万7718(2016センサス)。年降水量203ミリメートル。ペルシア湾のバンダル・アッバース港とホラサーン、テヘランを結ぶ交通の要地である。カーペットとショールの産地として有名である。古代にこの地方はカルマニアと称した。ササン朝のバフラーム5世の時代に軍事植民都市としてケルマーン市が建設され、同時に新田開発も進んだ。1794年トルコ系のカージャール朝の始祖アガー・ムハンマドが、この町の住民が前王朝ザンド朝にくみしたとして2万人を超える住民を虐殺したことで知られる。カージャール朝第2代のファタリー・シャーの時代に旧市の北西に新市がつくられ、知事ワキーロル・モルクのもとで繁栄した。ザンド朝の建造物が多く、町の中心にはワキール・バザールがある。ケルマーン市の南方180キロメートルに位置する都市バムBam(1996年人口約7万人)で、2003年12月26日マグニチュード6.3の地震が発生した。総死者数約3万人、負傷者約1万6000人、多くの建物が倒壊した。バム市北東の城塞(じょうさい)遺跡アルゲ・バムは、ほぼ全壊した。
[岡﨑正孝]
イラン中東部,カビール砂漠の南に位置する同名州の州都。人口52万9748(2003)。キルマーンとも呼ばれ,同地方は古代にはカルマニアCarmaniaと呼ばれた。標高1749mにあって冬季には厳寒となり,市内各家の屋根には煙突が目だつ。また,春と秋には砂嵐が多い。産業は小麦を中心とする農業およびじゅうたん生産。近年同市近くのサレ・チェシュメに銅製錬工場が建設中であったが,約90%が完成した時点でイラン革命に遭遇した。歴史的には7世紀にアラブ・イスラムの手中に落ち,10世紀以降は,ブワイフ朝,セルジューク朝,モンゴル,ティムール,アフガンと,諸民族の侵入,支配をしばしば受けた。
執筆者:加納 弘勝
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