改訂新版 世界大百科事典 の解説
ナーセロッディーン・シャー
Nāṣer al-Dīn Shāh
生没年:1831-96
カージャール朝の第4代シャー。在位1848-96年。1848年に王位に就いたが,当時のイランの社会は,世直しを訴えるバーブ教徒の宗教反乱で混乱していた。これを立て直すためにモハンマド・タキー・ハーンを宰相に起用,財政,軍事,教育にかかわる近代化政策を実施させた。みずからも73年以降,たびたびヨーロッパ訪問旅行を行い,先進文化の摂取に努めた。しかし,1856-57年のヘラート問題での対英戦争敗北,72年のイギリス人ロイターに始まる一連の利権譲渡によって,ヨーロッパ諸列強に対する政治的・経済的な従属度を強めた。王領地の売却,コサック旅団の創設(1879)によって,財政危機と弱体化した軍事力を回復しようと図ったが,徒労に終わった。治世末期の91-92年には,立憲思想とアフガーニーのパン・イスラム主義の影響をうけたウラマー,商人,民衆によるタバコ・ボイコット運動の挑戦をうけた。96年,反体制派のミールザー・レザー・ケルマーニーによって暗殺された。
執筆者:坂本 勉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報