改訂新版 世界大百科事典 「メスロプマシトツ」の意味・わかりやすい解説
メスロプ・マシトツ
Mesrop Mashtots
生没年:362-440
アルメニア語のアルファベットの考案者で,アルメニア最初の学校創設者でもある。ワン湖の西,タロン地方の生れ。郷里で教育を受けた後,首都バガルシャパット(現,エチミアジン)に出て,まず文官として,後に軍人としてアルメニア王ホスロー3世の宮廷に仕えた。当時すでにギリシア語,ペルシア語,シリア語にたんのうだった。しかし隠遁(いんとん)生活に入り,ナヒチェバン地方でキリスト教化活動にも従事した。この後,首都に戻り,アルメニア教会カトリコスのサハク,アルメニア王ブラムシャプーフの援助をうけてアルメニア語アルファベット開発のための研究に入った。シリア地方のエデッサ(現,トルコ領ウルファ)に赴いて種々の言語のアルファベットや記述の体系について学んだ後,36文字からなる独自の,アルメニア語表記に適したアルファベットを考案した。メスロプと弟子たちは,この文字を用いて聖書をはじめとする宗教文献を翻訳し,また各地に学校を開いてこのアルファベットとキリスト教普及に努めた。
執筆者:北川 誠一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報