翻訳|Armenian
インド・ヨーロッパ語族に属し,独立の一語派をなす。現在この言語の話し手は300万人以上と推定されているが,その言語領域は明確ではない。なぜなら,その本来の話し手がアルメニア共和国よりも多くは周辺のグルジア,アゼルバイジャン,イラン,トルコなどのほか,遠くはインド,レバノンにまで分散してしまっているからである。東西2方言に分かれるが,本国の人口の大半は東方言に属し,西方言は各地に分散しているため,その話し手の多くは二重言語使用者となっている。
ギリシアの古代史家ヘロドトスによれば,アルメニア人は小アジアのフリュギアからこの地に移住してきたといわれる。しかし言語学的にその真偽は明らかでない。歴史的にこの地はアッシリア,ウラルトゥ,ペルシア,ビザンティン帝国,そしてアラブと,古代からたえず異民族の支配下にあった。言語的にはとくにパルティア,ササン朝下の600年ほどの間に多量のイラン系の語彙が借用され,ために長い間イラン語の一方言と見誤られたほどである。その歴史は5世紀に,独自のアルファベットで綴られた聖書文献に始まる。メスロプ・マシトツが作ったといわれるこの36文字の正確な起源は明らかでないが,ギリシア文字,パフレビー文字などが参考にされたものであろう。そのもっとも古い文献としてはすぐれた聖書の翻訳のほか,メスロプの伝記,原典は失われたがビザンティンのギリシア人の書いたアルメニア史の翻訳などがある。この古アルメニア語には方言差は認められないが,11世紀の末から14世紀にかけてキリキアに移住したアルメニア人の建てた王朝時代の文献には,ゲルマン語のそれに似た子音推移がみられ,方言差があらわれている。現在のアルメニア語は,全体的にみて古いインド・ヨーロッパ語の特徴である格変化,動詞の時制,法,人称変化などの範疇を保持しながらも,名詞の性別の消失,定冠詞の後置などのほか,語形成の上では分析的,膠着語的手続を多用している。ヨーロッパ人の人名で,ミコヤン,カラヤンなど語尾にヤンのつくものは本来アルメニア系である。
執筆者:風間 喜代三
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インド・ヨーロッパ語族の一語派。300万人を超えるアルメニア共和国の公用語だが、周辺のジョージア(グルジア)、アゼルバイジャン、イラン、トルコ、ギリシア、インドにまで話し手が分散している。アルメニアという名は古代ペルシア帝国の碑文に現れ、古代史家も用いているが、その話し手はハイHayと自称していた。この名称は『旧約聖書』にみる地名ハッティHattiに由来するという説もあるが、正確には不明で、おそらく古代史家の伝えるとおり、小アジアのどこからか移住してきたことを暗示するものである。この地は長く異民族、とくにペルシア系の王朝の支配下にあったためにその影響が強く、イラン系の語彙(ごい)が大量に入り、長い間イラン語の一つと見誤られていた。その歴史は5世紀の聖書訳に始まる。それはメスロプMesrop Mashtots(362―440)という僧がつくった36文字からなる独特のアルファベットによってつづられている。中期の資料は11世紀末から14世紀にキリキアに移住して王国を築いた人々の残したものである。近代語には東西の方言があるが、公用語は東方言に基づく。子音に放出音の系列があり、名詞は性はないが、7格をもつ。動詞は全体に分析的表現の傾向が強い。
[風間喜代三]
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…イラン,トルコ,カフカスが接するアルメニア地方の住民。自称はハイHay。形質はコーカソイド人種のアルメノイド型で,インド・ヨーロッパ語族のアルメニア語を話す。アルメニア共和国を中心に,旧ソ連邦内各共和国,中東,アメリカ大陸等に分散している。人口は旧ソ連邦内に462万(1989),旧ソ連邦外に180万(1967)である。10~11世紀にビザンティン帝国の東進とセルジューク朝の侵入のために,政治的独立を失った多くのアルメニア人が母国を捨てた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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