モグリスタン・ハン国(読み)モグリスタン・ハンこく(その他表記)Moghūlistān Khanate

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「モグリスタン・ハン国」の意味・わかりやすい解説

モグリスタン・ハン国
モグリスタン・ハンこく
Moghūlistān Khanate

別名東チャガタイ・ハン国。チャガタイ・ハン国の内部抗争による東西分裂の結果,天山山脈地帯に成立した国 (1348~1514) 。明朝文献では別失八里 (ベシバリ〈ク〉) とか亦力把里 (イリバリ〈ク〉) と呼ばれている。始祖トゥグルク・チムールイリ盆地を中心に天山周辺と南部のカシュガルヤルカンドなどのオアシス地帯,東部天山のいわゆるウイグリスタンを領域とし,ドグラト家がハン国の宰相として絶大な権勢をふるった。 14世紀後半にチムール (帖木児)の遠征を受け,15世紀初頭オイラート (瓦剌)と対立した。その後イリからタシケントにいたる地域とウイグリスタンとに2分。 16世紀初めにオイラートカザフとの圧迫を受けて崩壊し,カシュガルに拠ったサイード・ハンが 1514年にカシュガル・ハン国を建てた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

関連語 チムール

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む