日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラストボロフ事件」の意味・わかりやすい解説
ラストボロフ事件
らすとぼろふじけん
1954年(昭和29)に起きた日本を舞台とするスパイ事件。同年1月24日、元駐日ソ連代表部の二等書記官ユーリー・A・ラストボロフが失踪(しっそう)、同元代表部は彼がアメリカ情報機関に抑留されたと発表した。ラストボロフは自主的にアメリカ当局に保護を求めたものであり、1月26日には米軍用機で不法出国していた。アメリカのこの措置は日本の主権を侵すものであったが、外務省はこれを不問に付し、亡命の事実も否定し続けていた。8月14日になって、日米両国で、ラストボロフはソ連内務省所属陸軍中佐として日本に派遣され、日本人エージェントを使ってスパイ活動をしていたこと、またアメリカに亡命したことが公表され、外務省事務官3名がスパイ活動に関係したとして逮捕された。取調べ中に1名が自殺、残りの2名は国家公務員法第100条(秘密を守る義務)違反などで起訴された。1名は60年11月最高裁で有罪確定(懲役6か月、罰金100万円)、1名は65年3月東京高裁で無罪が確定した。講和発効後まもない時期の、不透明な部分の多い事件であった。
[荒 敬]
『田中二郎他編『戦後政治裁判史録2』(1980・第一法規出版)』