対外関係事務を主管する行政機関。その任務に関し,外務省設置法(1951公布)3条には,(1)外交政策の企画立案および実施,(2)通商航海に関する利益の保護および増進,(3)外交政策上の経済協力の推進,(4)外交官および領事官の派遣および接受,(5)条約その他の国際約束の締結,(6)国際連合その他の国際機関との協力および国際会議への参加,(7)外国に関する調査,(8)内外事情の報道および外国との文化交流,(9)海外における邦人の保護ならびに海外渡航および移住の斡旋,などと定められている。
太政官制の改定により外務省が創立されたのは1869年(明治2)7月8日で,同日発布の職員令の定めによる。外務省の前身の機関としては,1868年1月9日設置の外国事務取調掛をはじめ,次に外国事務課,外国事務局,外国官の順に設置後改廃されていた。長官の名称も,68年の外国事務総裁(初代は嘉彰親王)から外国官知事(初代は伊達宗城)に変わり,のち外務卿となる。外務省は創立の際,現在の東京都中央区築地にあったが,70年12月,千代田区霞が関の民部省跡(福岡藩主黒田邸跡)の現在の地に移った。以後,77年の火災で中央区浜離宮庭園内にあった延遼館(当時の迎賓館)に一時移転し,また太平洋戦争末期から戦後初期におもに霞が関周辺の各所に移った期間を除き,現在の地にあり,このため〈霞が関外交〉の名が生まれた。
69年の前記職員令により,外務省を含む6省にそれぞれ卿,大輔,少輔,大丞,権大丞,少丞,権少丞などの官が置かれ,初代の外務卿には沢宣嘉,外務大輔には寺島宗則が就任した。85年12月22日,内閣制の施行に伴い各省卿の職制を廃し,各省に大臣が置かれることとなり,初代の外務大臣には井上馨が就任した。外務省は宮内省と内務省との間に序列づけられていた。海外諸国に駐在の使臣として,1870年10月,大弁務使,中弁務使,少弁務使,大記,少記の設置が布告され,72年10月,その名称は特命全権公使,弁理公使,代理公使,一等書記官,二等書記官,三等書記官に改められた。日露戦争後,欧米各国の日本公使館の大使館昇格に伴い,1905年12月に林董駐英公使が英国駐劄(ちゆうさつ)特命全権大使に任命されたのをはじめとし,以下米,独,仏,伊,墺,露各国駐劄公使が順次大使に昇格した。
おもな機構の変遷としては,1873年11月,弁事局,外事左局(欧州各国事務),外事右局(米・アジア両州事務),考法局,翻訳局,庶務局が設置され,機構がほぼ確立された。次に80年12月の改定で,公信局,取調局,記録局,庶務局,会計局の機構となった。これは取調局の設置により条約改正に取り組むためであった。93年11月の官制改正は行政整理のためで,機構は大臣官房,政務局,通商局のみとなり,取調局などは廃止された。1919年7月に条約局が新設されたが,これはベルサイユ条約調印の前後,政務・通商両局の事務量が膨大となったためであった。20年10月には政務局が亜細亜,欧米の2局に分離した。この結果,この2局に通商,条約の2局を加えた4局制となり,この体制は34年まで続いた。34年6月,亜細亜局が東亜局と改称され,欧米局が欧亜,亜米利加の2局に分離した。40年11月に南洋局が新設されたが,42年11月,東亜局とともに大東亜省へ移管された。同時に,欧亜局と亜米利加局が合体して政務局となり,また33年12月設置の調査部がこのときに調査局に昇格したので,当時の機構は政務,通商,条約,調査の4局であった。
太平洋戦争終結後,機構は大幅に縮減し,占領管理に伴う事務が主となり,管理局および外務省の外局として終戦連絡事務局などが設置された。また,太平洋戦争前において条約締結などの権限は天皇に属していたが(明治憲法13条),戦後は日本国憲法73条により内閣の職務の一つとして条約締結,外交関係の処理が挙げられ,比較的重要な外交関係を処理することは内閣の権限に属し,内閣において決定することと定められた。対日講和条約調印後の51年12月,国際社会復帰の体制を整えるため,機構再編の結果,大臣官房,アジア局,欧米局,経済局,条約局,国際協力局,情報文化局となった。その後57年4月,欧米局がアメリカ局と欧亜局に分かれ,また62年5月,経済局の一部が経済協力局に昇格し,さらに65年5月には欧亜局の一部が中近東アフリカ局に昇格し,また79年12月にはアメリカ局が北米,中南の2局に分かれた。84年7月には大臣官房の調査企画部を情報調査局に昇格し,また広報機能強化のため,大臣官房に情報文化局の事務を移管した。なお,在外公館は91年(平成3)10月末現在,大使館107,総領事館59,領事館2,政府代表部6となっている。
外務官僚は,国家公務員試験と別の外務公務員採用上級試験,外務省専門職員採用試験合格者が中心で,一般の公務員とは異なる。
→外交官
執筆者:河村 一夫
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国家行政組織法が定める国の行政機関の一つ。その長は外務大臣で、任務、所掌事務および組織は、外務省設置法が定めている。英語表記はMinistry of Foreign Affairs of Japan。前身は、1868年(慶応4)に明治新政府が設けた外国事務取調掛(とりしらべがかり)。翌年、太政官制(だじょうかんせい)改革に伴い外務省となった(長は外務卿(きょう))。1885年(明治18)、内閣制度発足により外務卿は外務大臣と改称された。
外務省がつかさどる事務(外務省設置法4条1項)には、外交政策、外国政府との交渉および協力、国際連合その他の国際機関との協力および国際会議への参加、条約その他の国際約束の締結、国際情勢に関する情報の収集および分析、海外における邦人の生命および身体の保護、旅券および査証の発給、海外事情の国内広報および日本事情の海外広報、外交官および領事官の派遣および接受、政府開発援助のいくつかに関する関係行政機関の行う企画立案の調整、などに関することがある。
内部部局等としては、大臣官房および10の局(総合外交政策局、アジア大洋州局、北米局、中南米局、欧州局、中東アフリカ局、経済局、国際協力局、国際法局および領事局)のほか、1名の国際情報統括官が置かれる(外務省組織令2条)。審議会等として外務人事審議会および海外交流審議会があり、施設等機関として外務省研修所がある(同令90条、93条)。また特別の機関として、外国において外務省の所掌事務を行う在外公館(大使館、公使館、総領事館、領事館および政府代表部)が置かれる(外務省設置法6条)。以上の機関のほかに、外務大臣は、外国において外務省の所掌事務の一部を遂行するうえで必要と認めるときは、名誉総領事または名誉領事を任命し、これを所要の地に置くこともできる(同法13条)。
[稲葉一将 2022年1月21日]
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(高橋進 東京大学大学院法学政治学研究科教授 / 2007年)
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近代において外交事務を担当する政府の中央官庁。1869年(明治2)二省六官の制の成立により外国官を廃止し太政官の一省として設置。長官は外務卿(初代は沢宣嘉(のぶよし))で,「外国交際ヲ総判シ貿易ヲ監督スル」ものとされた。85年内閣制度の樹立により内閣の一省となる。初代外務大臣は井上馨(かおる)。86年外務省官制公布。内部に大臣官房および総務・通商・取調・記録・会計・翻訳の各局を設けた。91年政務局設置。その間,特命全権公使(のち大使)以下の外交官・領事官を法制化。太平洋戦争下は大東亜省の設置で権限を一部移譲。1945年(昭和20)以後はGHQとの折衝がおもな職務となったが,52年サンフランシスコ講和条約発効とともに外交機能を回復した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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