20世紀日本人名事典 「リッジウェーマシュー」の解説
リッジウェー マシュー
Ridgway Matthew Bunker
07の軍人 元・日本占領連合国軍最高司令官;元・米国陸軍参謀総長;元・メロン産業調査研究所理事長。
- 国籍
- アメリカ
- 生年
- 1895年3月3日
- 没年
- 1993年7月26日
- 出生地
- バージニア州フォートモンロー
- 学歴〔年〕
- 米国陸軍士官学校〔’17年〕卒,米国陸軍大学校〔’37年〕卒
- 経歴
- 1920年代に中国、中米、フィリピンなど海外で勤務。第2次大戦中はシチリア島攻略やノルマンジー上陸作戦に参加し、戦後の’49〜50年は陸軍参謀次長を務めた。朝鮮戦争勃発後の’50年12月、朝鮮戦線の米国第8軍司令官となり、中国義勇軍の参戦で敗北のふちに立たされた国連軍を指揮、中国義勇軍を戦争勃発前の分断ライン北緯38度線以北まで押し戻した。’51年4月には罷免されたマッカーサー元帥の後任として在朝鮮国連軍、日本占領連合国軍、米極東軍の各最高司令官に就任、大将に昇進。翌’52年北大西洋条約機構(NATO)軍最高司令官、また’53年には陸軍参謀総長となったが、アイゼンハワー政権のインドシナ介入に反対して’55年に辞任、退役。その後、’60年までメロン産業調査研究所理事長を務めた。著書に「兵士」(’56年)、「朝鮮戦争」(’67年)がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報