リュネビル条約(読み)りゅねびるじょうやく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「リュネビル条約」の意味・わかりやすい解説

リュネビル条約
りゅねびるじょうやく

フランスの統領ナポレオンがオーストリアと結んだ講和条約。ナポレオンは1799年12月にイギリス、オーストリアに和平を提案したが、拒絶されるや北イタリアへ遠征し、翌年6月マレンゴでオーストリア軍を破った。また、南ドイツでもモローのフランス軍が武勲を輝かした。両国は1801年2月9日にリュネビルLunévilleで和平に調印した。この結果、フランスはイタリアのチザルピーナ共和国とリグリア共和国を保護領に入れ、ライン川左岸、ベルギー、ルクセンブルク領土を広げた。

[金澤 誠]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のリュネビル条約の言及

【対仏大同盟】より

…第1次は,1792‐93年にオーストリア,プロイセン,イギリス,オランダ,スペインなどの間で結ばれたが,フランスとプロイセン,スペインとのバーゼル条約(1795)およびオーストリアとのカンポ・フォルミオ条約(1797)によって解消した。第2次は,98年にイギリス,ロシア,トルコ,オーストリア,両シチリアなどの間で結ばれたが,オーストリアとのリュネビル条約(1801)およびイギリスとのアミアン条約(1802)によって解消した。第3次は,1805年にイギリス,オーストリア,ロシア,スウェーデンなどの間で結ばれたが,オーストリアとのプレスブルク条約(1805)によって解消した。…

※「リュネビル条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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