チザルピーナ共和国(読み)ちざるぴーなきょうわこく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「チザルピーナ共和国」の意味・わかりやすい解説

チザルピーナ共和国
ちざるぴーなきょうわこく

1797年イタリア遠征中のナポレオン北イタリアに建てたフランスの衛星国。チザルピーナCisalpinaは、ローマからみてアルプスのこちら側という意味。ロンバルディアの大部分を領土とするこの国は、まもなく同じ衛星国のチスパダーナ共和国を併合してボローニャフェッラーラモデナなどの諸都市を含むポー川以南の地域を支配下に収め、同年10月のカンポ・フォルミオ条約によりオーストリアの承認を得た。北部中部にまたがるこの共和国では、1795年のフランス憲法を模倣した憲法が制定され、首都ミラノに立法議会総裁政府が置かれた。ナポレオンのエジプト遠征中の99年、オーストリア・ロシア連合軍のイタリア侵攻により共和国は崩壊したが、1800年6月のマレンゴの戦い以後、ナポレオンはこの共和国を復興し、02年のイタリア共和国建設の核とした。

[重岡保郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チザルピーナ共和国」の意味・わかりやすい解説

チザルピーナ共和国
チザルピーナきょうわこく
Repubblica Cisalpina

1797年6月ナポレオン・ボナパルト(ナポレオン1世)によって北イタリアのロンバルディアに形成された国家。翌 7月中部イタリアにすでに形成されていたチスパダーナ共和国と合体して領域を拡大した。フランス憲法にならって新憲法を制定するなど形式的には独立国ではあったが,実際はフランス軍が駐留し,フランス政府に上納金を納める義務を負うなど,フランスの従属国とみられた。1799年オーストリア=ロシア軍の反撃で一時解体したが,1800年ナポレオンによってただちに再建された。1802年イタリア共和国の名のもとに再編成され,1805年にはナポレオンを王とするイタリア王国に編成替えされた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「チザルピーナ共和国」の解説

チザルピーナ共和国(チザルピーナきょうわこく)

1797~1802

1796年北イタリアを征服したナポレオンが,97年ロンバルディア中心モーデナ公国領,教皇領北部,ヴェネツィア領の一部などを合してつくった共和国。1802年,ナポレオンを大統領とするイタリア共和国に改組された。

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