アダルベルト(読み)あだるべると(その他表記)Adalbert

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アダルベルト」の意味・わかりやすい解説

アダルベルト
あだるべると
Adalbert
(955ころ―997)

ボヘミア貴族スラブニク家出身の聖職者。チェコ名ボイチェフVojtech。983年プラハ司教となり、ベネディクト派修道院を拠点にチェコ人のキリスト教化に努めたが、有力な貴族勢力と対立し、988年辞してローマ近傍の修道院に入った。992年教皇ヨハネス15世により再度プラハへ派遣されたが、同地での布教を困難とみて、ハンガリー、ついでポーランド、プロイセンへ移り、宣教した。親交のあったオットー3世(神聖ローマ皇帝)、ボレスワフ1世(ポーランド王)に支持されたが、997年4月23日ポメラニアで宣教の途上異教徒に殺され殉教し、聖者に列せられる。埋葬の地グニエズノGnieznoに1000年ポーランド大司教座が設置された。「プロイセンの使徒」とよばれる。

[山本俊朗]

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改訂新版 世界大百科事典 「アダルベルト」の意味・わかりやすい解説

アダルベルト
Adalbert

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世界大百科事典(旧版)内のアダルベルトの言及

【ボイチェフ】より

…異教徒のプロイセン人に布教して殉教,チェコスロバキア,ポーランドなどで国民的聖人として尊敬されている。洗礼名はボイチェフだが,のちに師マクデブルク司教アダルベルトゥスAdalbertusの名をとり,西欧ではプラハのアダルベルトゥス(アダルベルトAdalbert)として知られている。983年にプラハ司教となったが,政治上の理由で職務を遂行できなくなり,990年ローマに逃れた。…

※「アダルベルト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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