原始キリスト教会において最重要の地位を占め,大きな権限を委託された指導者群をさす。その中核にはイエスが選んだとされる十二弟子(十二使徒)がいたとも考えられるが,十二弟子そのものの歴史性を疑問視する学者もいる。しかしパウロの《コリント人への第1の手紙》15章5節以下が示している最初期の宣教の要約は,実際にはイスカリオテのユダを欠いて十一人となっていたはずの弟子グループをそのまま〈十二人〉と表示することによって,それがすでにきわめて早い時期に固定化されたひとつのまとまりを意味していたことを暗示していることは注目すべきである。使徒たることの条件は,イエスの復活顕現の証人であることであったと思われるが,上掲の宣教の要約はその証人として〈十二人〉〈五百人以上の兄弟たち〉そして〈ヤコブおよびすべての使徒たち〉に言及している(15:5~7)。しかし《ルカによる福音書》の著者は使徒を十二弟子に限定しており,さらに同著者による《使徒行伝》は伝承にさかのぼる二ヵ所(14:4,14)を除いては,パウロをも使徒とは呼ぼうとしていない。実際パウロが使徒であることは,当時のユダヤ主義的キリスト者の多くによって否定されており,そのためにパウロは大いに自らの使徒職の弁明をしなければならなかった(《コリント人への第1の手紙》9:1,15:8~10,《同第2の手紙》11:5,13,《ガラテヤ人への手紙》2:8など)。のちにエルサレム教会の中心的指導者となったイエスの兄弟ヤコブもまた使徒とみなされたと思われる(上掲の宣教の要約)が,1世紀末のエイレナイオスは使徒を〈十二人とパウロ〉に限定している。新約聖書においては使徒職はまだ職制としては考えられていないが,しだいに監督と長老とが教会指導者としてこれに代わり,のちのカトリック教会の職階制へと発展していった。なお,パトリックやカンタベリーのアウグスティヌスやキュリロスなど,ある国や地方への最初のキリスト教伝道者を〈使徒〉ということもある。
→聖職者
執筆者:青野 太潮
使徒の大部分は個人的特徴を備えず,青年から壮・老年に至るさまざまなタイプに表される。しかし,ペテロ,パウロ,ヨハネ,アンデレ,イエスの兄弟ヤコブらは,多少時代,地域によって異なるが,他から区別して個性的に表現された。なかでも使徒の頭(かしら)とされる前2者は,初期キリスト教時代からペテロの白髪の巻毛と白いあごひげ,パウロのはげ上がった前額部と鋭い目つき,黒い髪とひげによって区別された。服装については,中世の大部分を通じて白い肌着(トゥニカ)に白い上被(パリウム)をまとったローマ時代の上層階級の姿に表されたが,中世末期以降,服装の種類,色彩ともに変化に富むようになった。足は通常サンダルを履くか,または裸足である。使徒に共通の持物としては巻物,書物,十字架等があるが,ほかに伝記等に基づいた固有の持物(パウロの剣,ヨハネの蛇の入った聖杯,アンデレの十字架等)がある。
図像は主として以下の四つの型に分けられる。(1)個々を肖像(イコン)として表したもの(シナイ,カタリナ修道院,ペテロのイコン,7世紀初頭)。(2)聖書正典,あるいはさまざまな外典,伝承に基づく,回心,殉教を頂点とした伝記的表現(《グランバルの聖書》,大英博物館,パウロの回心の物語挿絵,838-843ころ。カラバッジョ《マタイの生涯》連作,ローマ,サン・ルイジ・デイ・フランチェージ,1597-98)。(3)福音書,《使徒行伝》に基づく説話的場面(レオナルド・ダ・ビンチ《最後の晩餐》,ミラノ,サンタ・マリア・デレ・グラーツィエ,1495-98。エル・グレコ《聖霊降臨》)。(4)教義,神学に基づき,超越的集団として表したもの(ミケランジェロ,システィナ礼拝堂の《最後の審判》,バチカン,1534-41。ラファエロ,バチカン宮殿〈署名の間〉の《三位一体の論議(ディスプータ)》,1510-11)。そのほかゴシック大聖堂の建築装飾体系の中では扉口側壁の彫像群として,またステンド・グラス等にも表された(シャルトル大聖堂,1145-1220ころ)。
執筆者:辻 成史
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このギリシア語アポストロスは「派遣された者」「使者」を意味する。古典ギリシア語ではもと海軍の遠征を意味した。聖書的用法はむしろラビ的ユダヤ教の「使者」を意味するヘブライ語に起源をもつと思われる。その正しい意味は「全権を委任された者」である。こういう一般的な意味では「教会の使者」(「コリント書Ⅱ」8章23)、「あなたがたの使者」(「ピリピ書」2章25)というように用いられている。またその意味では、イエスは神からの「使者」とよばれている(「ヘブル書」3章1、「ヨハネ伝福音(ふくいん)書」17章18)。しかしこのことばは慣用語としては「使徒」と訳され、イエス・キリストによって直接選ばれ、福音を宣(の)べ伝え、悪霊を追い出し、病気をいやす力(「マタイ伝福音書」10章1、「ルカ伝福音書」9章1、「マルコ伝福音書」6章7)を授けられて派遣された者を表すのに用いられている。いわゆる十二使徒がそれである(「マルコ伝福音書」6章30、「マタイ伝福音書」10章2、「ルカ伝福音書」6章13)。十二という数は、神の民を象徴するイスラエルの十二部族に基づくもので、新しい神の民(教会)の中核を表すものと思われる。さらに終末には十二部族(旧約の神の民)と十二使徒(新約の神の民)が一つにされ、神の都を形成すると記されている(「ヨハネの黙示録」21章10~14)。
イスカリオテのユダの脱落による欠員は、ただちにマッテヤの選出によって補われた(「使徒行伝(ぎょうでん)」1章21~26)。このときの使徒の資格は、地上生涯のイエスと直接行動をともにした者で、復活の証人であるということであった(「使徒行伝」1章22、2章32)。やがて「使徒」という名称は十二使徒以外の人々にも用いられるようになった。パウロは復活のキリストから直接に使徒として委任されたといっている(「ガラテヤ書」1章1、「コリント書Ⅱ」12章11、12)。バルナバも使徒とよばれた(「使徒行伝」14章4、14)。使徒は教会の教職のなかではもっとも権威があった(「コリント書I」12章28、「エペソ書」4章11)。
[野口 誠]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
イエスが福音を伝えるために選んだペテロ,ヤコブ,ヨハネなどの12人の直弟子。原始キリスト教の成立後,イスカリオテのユダを除いてマッテヤを補充,のちにパウロ,イエスの兄弟ヤコブ,バルナバなども使徒とされた。使徒は聖霊による働きをなし,福音を伝え,教会を設立し,後代の聖典の成立や信条の制定にもその権威が重んじられた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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