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イグナーチェフ Ignat'ev, Nikolai Pavlovich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

イグナーチェフ
Ignat'ev, Nikolai Pavlovich

[生]1832.1.29. ペテルブルグ
[没]1908.7.3. キエフ
ロシアの外交官,政治家。外交界に入って,1858年中央アジアに転出,ブハラ・ハン国と友好条約を取決め,K.P.カウフマンによる中央アジアの征服の前提をつくった。 59年清国に派遣され,前年アムール川左岸のロシアへの併合を定めた愛琿条約の批准を取付け,翌 60年には北京条約を締結してウスリー川以東のロシア領有を清国政府に認めさせることに成功。 61年外務省アジア局長に抜擢され,植民事業を推進。 64年駐トルコ大使となり,汎スラブ主義を唱えてバルカンのスラブ系諸民族の独立運動に援助を与え,露土戦争 (1877~78) 後はロシア全権としてトルコとの講和会議にのぞみ,著しく有利なサンステファノ条約を締結した。 81年アレクサンドル2世が暗殺され,アレクサンドル3世が即位すると内相に任命され,反動治安立法制定の立役者となり,非常警察法,反ユダヤ法,工場法などを公布し,革命運動に大弾圧を加えた。 82年辞職してからも,汎スラブ国粋主義者としての勢力は衰えず,86年スラブ福祉協会 (71設立) の会長となってそのイデオロギーを鼓吹し続けた。

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