エビアン協定(読み)エビアンきょうてい

百科事典マイペディア 「エビアン協定」の意味・わかりやすい解説

エビアン協定【エビアンきょうてい】

1962年3月レマン湖岸のエビアン・レ・バンで,フランスアルジェリア民族解放戦線の間で締結されたアルジェリア戦争和平協定。これに基づいて,7月の国民投票で99.7%の賛成票を得てアルジェリアは独立した。この間協定に反対するコロンテロで,現地人死者6万の犠牲が出た。
→関連項目ベン・ベラ

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のエビアン協定の言及

【アルジェリア戦争】より

…アルジェリア国民が独立を達成するために,フランス政府・入植者に対して行った民族解放運動の最終段階。1954年11月から62年3月まで,約7年半にわたってゲリラ戦争を含む激しい運動が展開され,フランス政府も武力でそれを弾圧しようとしたので,〈戦争〉と呼ばれる。 戦争の展開は,次のような四つの局面に分けられる。(1)ベン・ベラらの指導による武装闘争の開始後,政治指導と軍事行動の中核としてそれぞれ民族解放戦線FLNと国民解放軍ALNが結成され,ゲリラ活動が国内各地に拡大した。…

【エビアン・レ・バン】より

…エビアン水の効能が知られ始めたのは18世紀初頭である。1962年3月18日に発表されたアルジェリアの民族解放戦線とフランスとの停戦協定はこの地で交渉が行われたことからエビアン協定と呼ばれる。【浜田 真之】。…

【第五共和政】より

…また,58年に発足したEECにおいてヨーロッパの市場圏統合の中でフランスの地歩強化をはかり,核兵器開発や第三世界への接近など,米ソ二大国に対抗する外交政策がとられた。植民地に関してはド・ゴールは,第四共和政のフランス連合を憲法で改組してフランス共同体とし,その下でアフリカ植民地の多くに独立を与える道を選び,アルジェリアについては軍部の反対を抑えて1962年いわゆるエビアン協定により独立を承認した。 こうしてド・ゴール体制はフランスにさまざまな方面の転換をもたらしたが,68年のいわゆる五月革命の後,69年4月地方制度と上院改革の国民投票に敗れてド・ゴールは大統領を辞任した。…

※「エビアン協定」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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