アルジェリアの政治家、初代首相、大統領。アルジェリア西部の町マルニアに生まれる。1946年に「民主的自由の勝利のための運動」(MTLD)に加入して民族運動を開始した。政治闘争を重視する指導部の方針に飽き足らず、武装蜂起(ほうき)を目ざして秘密軍事組織をつくり、ゲリラ活動を実行した。1954年の革命戦争勃発(ぼっぱつ)時の指導者の一人であり、1956年に逮捕されたが、1958年には獄中でアルジェリア暫定政府の副首相に選ばれた。1962年3月に釈放されると、暫定政府メンバーとの間で激しい権力闘争を展開したが、軍隊の支持を得て政敵を追放し、同年9月アルジェリア共和国首相に就任した。翌1963年9月に憲法を制定して初代大統領に選出された。
国際的には非同盟運動の旗手として華々しく活躍し、国内的にも社会主義の理念を標榜(ひょうぼう)したものの、独立直後の統治機構の混乱と経済危機を克服できなかった。そのなかで権力集中の弊害が現れ、1965年5月ブーメディエン国防相が起こしたクーデターによって政権を奪われた。以来15年間にわたって獄中生活を送ったが、シャドリ・ベンジェディードal-Shādhili Benjadid(1929―2012)の大統領就任後1980年10月に釈放され国外に亡命した。その後、国外で政治体制の民主化運動やイスラム運動を行い、1989年の複数政党制移行とともに新政党「アルジェリア民主運動」を結成し、国内で合法活動を再開した。新党は選挙で議席を獲得できず、ベンベラの政治生命の終焉(しゅうえん)を明らかにした。
[宮治一雄]
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アルジェリアの民族運動の指導者,また独立後の初代大統領。在任1963-65年。第2次大戦中フランス軍下士官をつとめたが,1946年以降フランスからの独立運動に参加し,54年に民族解放戦線(FLN)の結成と武装蜂起(アルジェリア戦争)を指導した。62年独立後,同年9月に初代首相,翌年9月に初代大統領に就任して,積極的に非同盟外交と社会主義的経済建設を推進した。65年6月,ブーメディエンらのクーデタによって失脚し,80年10月まで獄中生活を送った。現在は国外に亡命して多彩な政治・文化活動をしている。
執筆者:宮治 一雄
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1918~2012
アルジェリア民族独立運動の指導者,政治家。1948年反仏秘密結社(OS)に参加,50年逮捕,52年脱走してカイロに亡命。アルジェリア民族解放戦線(FLN)の指導者となり,56年再逮捕。62年釈放。独立とともに首相(在任1962~63),大統領(在任1963~65)。非同盟中立国グループの有力者として65年第2回アジア・アフリカ会議を主催する直前にクーデタで失脚。
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…次のような四つの時期に分けて政治過程を考察することができる。(1)ベン・ベラ政権期(1962‐65) 1962年7月の独立前後からFLN(民族解放戦線)の内部で激しい権力闘争がおきたが,軍部を掌握するブーメディエンHouari Būmedīn(1927‐78)の支持をうけたベン・ベラが政権についた。ベン・ベラは,1963年9月に憲法を制定して政治体制の枠組みを定め,64年4月のFLN大会が採択したアルジェ憲章で,社会主義的な経済建設の方向を確認した。…
※「べんべら」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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