べんべら(読み)ベンベラ(英語表記)Ahmad Ben Bella

デジタル大辞泉 「べんべら」の意味・読み・例文・類語

べん‐べら

薄っぺらの、また安っぽい絹の衣服。「―を一枚着たる寒さかな/漱石

ベン‐ベラ(Ahmad Ben Bella)

[1918~2012]アルジェリア政治家。独立運動を指導し、独立の翌1963年アルジェリア民主人民共和国初代大統領就任。1965年のクーデター失脚。ベン=ベッラ。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「べんべら」の意味・読み・例文・類語

べん‐べら

  1. 〘 名詞 〙 ( 「ぺんぺら」とも ) ぺらぺらな絹の衣服。ぺらぺらした粗末な衣服。
    1. [初出の実例]「松の内下女べんべらの綿が落」(出典:雑俳・柳多留‐七(1772))
    2. 「べんべらを一枚着たる寒さかな〈漱石〉」(出典:春夏秋冬‐冬(1903)〈河東碧梧桐・<著者>高浜虚子編〉)

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「べんべら」の意味・わかりやすい解説

ベンベラ
べんべら
Ahmad Ben Bella
(1918―2012)

アルジェリアの政治家、初代首相、大統領。アルジェリア西部の町マルニアに生まれる。1946年に「民主的自由の勝利のための運動」(MTLD)に加入して民族運動を開始した。政治闘争を重視する指導部の方針に飽き足らず、武装蜂起(ほうき)を目ざして秘密軍事組織をつくり、ゲリラ活動を実行した。1954年の革命戦争勃発(ぼっぱつ)時の指導者の一人であり、1956年に逮捕されたが、1958年には獄中でアルジェリア暫定政府の副首相に選ばれた。1962年3月に釈放されると、暫定政府メンバーとの間で激しい権力闘争を展開したが、軍隊の支持を得て政敵を追放し、同年9月アルジェリア共和国首相に就任した。翌1963年9月に憲法を制定して初代大統領に選出された。

 国際的には非同盟運動の旗手として華々しく活躍し、国内的にも社会主義の理念を標榜(ひょうぼう)したものの、独立直後の統治機構の混乱と経済危機を克服できなかった。そのなかで権力集中の弊害が現れ、1965年5月ブーメディエン国防相が起こしたクーデターによって政権を奪われた。以来15年間にわたって獄中生活を送ったが、シャドリ・ベンジェディードal-Shādhili Benjadid(1929―2012)の大統領就任後1980年10月に釈放され国外に亡命した。その後、国外で政治体制民主化運動やイスラム運動を行い、1989年の複数政党制移行とともに新政党「アルジェリア民主運動」を結成し、国内で合法活動を再開した。新党選挙議席を獲得できず、ベンベラの政治生命終焉(しゅうえん)を明らかにした。

[宮治一雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「べんべら」の意味・わかりやすい解説

ベン・ベラ

アルジェリアの民族運動の指導者,独立後の初代大統領。第2次大戦中はフランス軍の下士官を務めたが,1946年以降フランスからの独立をめざす民族解放運動に参加,1949年国粋主義的なアルジェリア人民党の軍の特殊部隊長となる。フランス守備隊を襲撃して逮捕されるが,1952年脱獄してカイロに亡命。1954年アルジェリア民族解放戦線FLN)の創設者の一人となる。武力決起を指導して1956年フランス軍に捕まり,1962年停戦協定(エビアン協定)の成立までフランスの獄中にあった。同年独立が達成されると初代首相となり,翌年9月初代大統領に就任,憲法を制定して政治体制の枠組みを定め,社会主義的な経済建設の方向を確認,外交では非同盟主義と民族解放闘争支援の基本路線を打ち出した。1965年6月ブーメディエンらの軍事クーデタによって失脚,1980年10月まで監禁された後,国外に亡命した。多彩な政治・文化活動を行い,1990年アルジェリアに戻った。
→関連項目アルジェリア

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「べんべら」の意味・わかりやすい解説

ベン・ベラ
Ben Bella, Ahmed

[生]1916?.12.25. マグニア
[没]2012.4.11. アルジェ
アルジェリアの軍人,政治家。初代大統領(在任 1963~65)。1937年フランス軍に入隊,第2次世界大戦中はヨーロッパ戦線で戦い,数回勲章を受けた。除隊後アルジェリア人民党 PPAに入党して反フランス闘争を指導。1950年に逮捕されたが 1952年に脱獄。エジプトのカイロを経てリビアに亡命し,そこから解放運動を指導したが(→アルジェリア民族解放戦線),1956年再び逮捕された。1958年9月アルジェリア共和国臨時政府 GPRAが成立,フランスに抑留中のまま副首相となり,1962年3月釈放された。同 1962年7月独立とともに社会主義志向を表明してベン・ユースフ・ベン・ヘッダ首相と対立。実権を握って 1963年9月初代大統領に選ばれたが,独裁的権力をふるい,1965年6月の軍部クーデターで失脚,1979年まで監禁された。1980年に亡命,1990年9月亡命先から帰国し,アルジェリア民主主義運動 MDAを組織して,1991年11月に行なわれたアルジェリア初の複数政党制による人民議会選挙に臨んだが,同党の議席獲得はならなかった。1964年レーニン平和賞受賞。(→アルジェリア問題

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「べんべら」の意味・わかりやすい解説

ベン・ベラ
Ben Bella
生没年:1912-

アルジェリアの民族運動の指導者,また独立後の初代大統領。在任1963-65年。第2次大戦中フランス軍下士官をつとめたが,1946年以降フランスからの独立運動に参加し,54年に民族解放戦線(FLN)の結成と武装蜂起(アルジェリア戦争)を指導した。62年独立後,同年9月に初代首相,翌年9月に初代大統領に就任して,積極的に非同盟外交と社会主義的経済建設を推進した。65年6月,ブーメディエンらのクーデタによって失脚し,80年10月まで獄中生活を送った。現在は国外に亡命して多彩な政治・文化活動をしている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「べんべら」の解説

ベン・ベラ
Aḥmad ben Billa

1918~2012

アルジェリア民族独立運動の指導者,政治家。1948年反仏秘密結社(OS)に参加,50年逮捕,52年脱走してカイロに亡命。アルジェリア民族解放戦線(FLN)の指導者となり,56年再逮捕。62年釈放。独立とともに首相(在任1962~63),大統領(在任1963~65)。非同盟中立国グループの有力者として65年第2回アジア・アフリカ会議を主催する直前にクーデタで失脚。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「べんべら」の解説

ベン=ベラ
Ahmed Muhammad Ben Bella

1916?〜 
アルジェリアの独立運動指導者
民族解放戦線(FLN)を指導して1954年武力反乱を展開。1956年逮捕され,58年アルジェリア臨時政府成立とともに獄中で副首相となった。1962年停戦協定(エヴィアン協定)で釈放され,同年独立とともに首相となり,63年大統領に就任したが,65年クーデタで失脚した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のべんべらの言及

【アルジェリア】より

…次のような四つの時期に分けて政治過程を考察することができる。(1)ベン・ベラ政権期(1962‐65) 1962年7月の独立前後からFLN(民族解放戦線)の内部で激しい権力闘争がおきたが,軍部を掌握するブーメディエンHouari Būmedīn(1927‐78)の支持をうけたベン・ベラが政権についた。ベン・ベラは,1963年9月に憲法を制定して政治体制の枠組みを定め,64年4月のFLN大会が採択したアルジェ憲章で,社会主義的な経済建設の方向を確認した。…

※「べんべら」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

世界の電気自動車市場

米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...

世界の電気自動車市場の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android