改訂新版 世界大百科事典 「カウシャーンビー」の意味・わかりやすい解説
カウシャーンビー
Kauśāmbī
前8~前6世紀ころに北インドに栄えた十六大国の一つバッツァ国の都。漢名は憍賞弥。ガンガー(ガンジス)川中流域と西部および中央インドを結ぶ当時の交通路の結節点にあたり,同国はマガダ国などとともに四強国の一つであった。ウッタル・プラデーシュ州南東部のアラーハーバード西方約60kmのコサム村付近にあてられ,ヤムナー川に面する。かつての都城の跡が残り,その最古層は前7世紀にさかのぼる。ブッダもここを訪れ,滞在したこともある。そのころのウダヤナ(優陀延)王は敬けんな仏教徒として仏典にあらわれる。ブッダの死後,パーリ経典をまとめたテーラバーダ派(上座部)の中心地であった。都城跡からはアショーカ王の石柱が発見されている。
執筆者:応地 利明
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