18世紀にロシア帝国がオスマン帝国の保護国だったクリム・ハーン国を併合し、ロシア人が入植。ソ連の独裁者スターリンが支配した第2次大戦中に先住民クリミア・タタール人は中央アジアなどに追放された。ソ連崩壊後もロシア黒海艦隊が軍港都市セバストポリなどに駐留を続けた。ウクライナ政府によると、2001年時点の民族構成はロシア人58%、ウクライナ人24%、クリミア・タタール人12%。14年の併合は国際法違反だとしてロシア批判が強まったが、当時の国際社会の対応は抑制的だった。(キーウ共同)
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… ヨーロッパの最東部にあって,タタールともっとも交渉の深かったロシアの歴史に即していえば,タタールはまずトルコ語系統の諸族であって,10世紀に,先住民のフィン・ウゴル語系の諸族とともに,ボルガ・カマ川流域のブルガール国をつくった人々として知られている。キプチャク・ハーン国が解体した15~16世紀には,カザン,アストラハン,クリミア,シベリアなど,南ロシアからシベリアにかけて,いくつかのタタールの国家が誕生し,それぞれ異なるタタール人の民族体も現れてきた。このうちのカザン・ハーン国は,15世紀前半に,それまでのボルガ・カマのブルガール国にかわってその地域と住民を支配するようになった国家で,その領域には,カザン・タタールを中心に,バシキール,チュバシ,マリ,モルドバ,ウドムルトなどの諸民族体が派生した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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