クーリー貿易(読み)クーリーぼうえき(その他表記)coolie

翻訳|coolie

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クーリー貿易」の意味・わかりやすい解説

クーリー貿易
クーリーぼうえき
coolie

クーリー (苦力)をアメリカ大陸やオーストラリアなどに輸出して利を得る貿易。 19世紀後半,黒人奴隷の解放後盛んになった。中国ではマカオクーリー貿易の拠点で,中国人の出稼ぎ希望者を勧誘,脅迫して契約書に署名させ,目的地へ出発させる「豬仔 (ちょし) 館」が多くあった。航海中の非衛生虐待のため死亡率が 50%をこえたこともあり,目的地へ到着後も奴隷的労働に従事させられ,人道上の問題となった。

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世界大百科事典(旧版)内のクーリー貿易の言及

【苦力】より

…これが今日2000万~3000万人といわれる海外華僑の先祖である。香港はイギリス領になって以後,この苦力貿易で富を築いた。 日本人が中国人の未熟練労働者を苦力という言葉で呼ぶようになったのは,日露戦争後,旧南満州鉄道とその周辺を支配しはじめてからである。…

【天津条約】より

…19世紀後半,天津において中国と諸外国とのあいだに結ばれた条約の総称。清朝政府は,諸外国との条約の交渉,調印が朝廷のある北京でなされることを嫌い,極力天津において行おうとした。また,1870年(同治9)以降には北洋大臣李鴻章が天津にあって交渉の任についたため,多くの天津条約が調印された(表参照)。内容は多様であるが,なかでも58年(咸豊8)6月26日,イギリス・フランス連合軍の威嚇の下に,清国欽差大臣桂良,花沙納とイギリス全権J.B.エルギン(1811‐63)との間に結ばれた〈英清天津条約〉全56条は,以降の不平等条約の原型となった。…

※「クーリー貿易」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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