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黒人奴隷 こくじんどれいnegro slavery

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

黒人奴隷
こくじんどれい
negro slavery

15世紀末からポルトガル奴隷貿易商人は,大量のアフリカ黒人奴隷を中南米のスペイン植民地に輸送して農業労働に使役させ,次いでブラジル,スペイン領西インド諸島でもアフリカ黒人奴隷の使役が盛んとなった。 1619年以降イギリス領バージニア植民地でもタバコ栽培のために黒人奴隷使役が始まり,のち綿花,トウキビなどの栽培,収穫労働に広く用いられた。 18世紀初めにバージニアや南北カロライナ植民地で奴隷制によるプランテーション制が確立され,黒人奴隷労働力の需要と奴隷貿易による供給関係が相まって,奴隷制は急速に広がった。また 1713年アシエント条約により,イギリスはスペイン植民地への奴隷貿易を独占した。アメリカ独立革命 (→アメリカ独立戦争 ) により北部諸州では奴隷制が廃止され自由黒人が増加したが,奴隷人口の大半を占める南部では奴隷解放はほとんど行なわれず,イギリス産業革命による綿花の需要の増大に応じて,低南部諸州に奴隷労働に基づく綿花プランテーションが発展した。南北戦争勃発時には黒人の 92.2% (410万人) が南部に住み,そのうち 386万人が奴隷であった。 18世紀末以来ヨーロッパ諸国の植民地での奴隷制度は自由主義思想による批判の対象となり,1849年までにすべて廃止された。アメリカ合衆国でも 19世紀前半,北部を中心に奴隷制廃止運動が起こり,19世紀中頃,南部諸州の黒人奴隷制は激しい批判にさらされ,南北戦争による南部連合の崩壊の結果,法律上では廃止された。しかし,実質的に南部社会では黒人取締法などの州立法により黒人の隷属労働が維持され,1890年代から黒人に対する人種差別が一段と強まり,アメリカ固有の社会問題となった。

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世界大百科事典内の黒人奴隷の言及

【植民地】より

… ポルトガルは新大陸では17世紀前半までにブラジルに砂糖などのプランテーションを築き,アジアではインドのゴアを拠点として香料貿易を行い大きな利益をあげた。また彼らは,商船隊と西アフリカ沿岸の寄航地を利して西アフリカで黒人奴隷を購入し,新大陸で原住民に代わる労働力として売り払う奴隷貿易に先鞭をつけた。このようなスペインとポルトガルの植民地帝国に,オランダ,イギリス,フランスの3国が相互に競争しつつ挑戦していった。…

【大航海時代】より

… 一方,これと並行して大西洋のマデイラ,アゾレス両諸島にも植民が行われた。これらの島々ではサトウキビやブドウがプランテーション方式で生産され,アフリカ西海岸で入手した黒人奴隷が使用された。こうして,のちにスペインが新大陸で行ったプランテーション経営の原型が生まれた。…

※「黒人奴隷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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