苦力(読み)クリー

デジタル大辞泉 「苦力」の意味・読み・例文・類語

クリー【苦力】

クーリー

クーリー【苦力】

《〈中国語〉》もと中国インドの下層労働者呼称。19世紀後半、黒人奴隷に代わる労働力として売買された。クリー。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「苦力」の意味・読み・例文・類語

クー‐リー【苦力】

  1. 〘 名詞 〙 外国人が、重労働に従事する中国やインドの下層労働者を指してよんだことば西インド諸島アフリカのイギリス植民地などの開発に酷使された。
    1. [初出の実例]「先きに通州に派遣せし外部の苦力(非教民)帰り報ずる所に依れば」(出典:風俗画報‐二一七号(1900)公使以下籠城の日記)

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「苦力」の意味・わかりやすい解説

苦力
くーりー

インドや旧中国の労働者、とくに荷担ぎ夫、鉱夫、車夫などをさす。タミル語で雇うということばを英語でcooly, coolieと表記し、それを中国で苦力と表記したといわれる。人間労働力として売買される点では奴隷と同じであった。アメリカではリンカーンにより1862年に奴隷が解放されたが、苦力は奴隷にかわる労働力として、清(しん)朝の禁令にもかかわらず、外国の商人や中国買弁の手で香港(ホンコン)、マカオを中心に、西インド諸島、南アフリカ、南北アメリカ、オーストラリアなどに大量に送られた。1872年(明治5)3月、日本政府の外務卿(きょう)副島種臣(そえじまたねおみ)が、横浜で中国の苦力多数を乗せたペルー船マリア・ルーズ号を拿捕(だほ)して苦力を解放した事件は、国際的に大きな波紋を投げかけた。苦力の売買は国際的には1874年マカオの苦力取引禁止令によって終わったが、中国では形を変えた苦力制度が長く温存され、日本も中国侵略中、鉱山土建業港湾においてこの制度を利用した。1949年10月の中華人民共和国成立以降、こうした制度は完全に廃止された。

[山下龍三]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

旺文社世界史事典 三訂版 「苦力」の解説

苦力
クーリー
coolie

中国・インドの下層労働者をさして呼んだ名称
19世紀後半,西欧諸国は黒人奴隷の解放による植民地労働力の不足をインド,ついで中国からの労働者の強制移入で補い,仔豚貿易(pig trade)と呼ばれる悲惨なクーリー貿易が行われてその数は増加した。この結果,華僑海外進出が助長された。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android